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クロワッサンと世界。
おはようございます。花雨。です。
今日は朝ごはんにクロワッサンを食べました。



買ったクロワッサンを冷蔵庫に入れておいて、朝にサンドイッチにしていただきます。
クロワッサンは具材を入れる割れ目をナイフで作ってから、トースターで焦げないよう1、2分リベイクします。


今日の具材はにんじんとピーマンとたまごです!
たまごに砂糖とあらびきこしょうを入れ混ぜ、熱したフライパンでスクランブルエッグにします。


次ににんじんピーマンをスライスカットして、にんじんを先に後入れでピーマン。
フライパンで炒めたらカレー粉とガラムマサラで味付けです。
味付けしたにんじんとピーマンを焼き上がったクロワッサンの割れ目につめこみます。


最後にスクランブルエッグを入れてケチャップ少々をたまごにかけて、乾燥パセリを中心にぱぱっとふりかけます。
クロワッサンサンドイッチの完成です!


カフェオレとともにおいしくいただきました。
カレー味とケチャップ味の相性が良いです。
野菜はしゃきしゃき、スクランブルエッグはふわふわです。


動き続ける時代のなか、変わらない日常も確かにあります。
クロワッサンサンドイッチを自分なりにおいしく食べられる日常も大切にしたいわたしです。


現代はVUCAと呼ばれる先行きが見えづらい時代だそうです。
変化が激しく不確実で複雑。
絶対解が無く、その状況で選択し続けなければならない時代。



国内の選択が国際を動かし国際の情勢はわたしたちの生活にリアルタイムで影響が及ぶ時代。
だからこそ誰もに隠されないで、世界レベルでも個人レベルでも危機意識を持てる時代に今、わたしたちはいるのかもしれません。


以前のこういうものだろうといった前提が崩れつつあり、分断が進む空気感です。
ただ、人間には逆説のちからがそもそも皆にある、備わっているとわたしは思うのです。
雨の日にわざわざ傘をさして何かをしに出かけるように、離れているからこそ電話をかけて安否を確かめるように、個別の身体だからこそ手を繋ぐように。
逆説のちからは日常に染みわたっています。
日常でできないことは世界ではできません。
試すために行われる物事は操作性があり結局はうまくいかないとわたしは感じます。
『にもかかわらず』されてしまう物事に、ひとはこころを動かされる、そんな空気感になってほしいとわたしはこっそり願います。


世界をぼんやりと見ると右か左か、西が東か、上か下か、敵か味方かといったラベリングが目立ちます。
主義主張は大切です。
そのひとの思考形態を暴きます。



思考は共通項はあってよいです。
ただ、まだらだったりグレーゾーンがあったり人それぞれ、本当はよく違います。
違いが寛容されないのだとしたなら世界はそれほど余裕や余力が無いと見ることができます。


余裕や余力が無いことは今までそれを担ってきたものがもうそういった物事を担えなくなっている現実が現象として表出しているのかもしれません。
これは誰かの何かのひとつのせいではなく、わたしたちが今まで見て見ぬふりした課題たち、または誰かや何かに頼り切ってしまったそんな姿勢にたいしてのサインだとは考えられないでしょうか。


帳尻を合わせるように、と世界から言われているような気が致します。
こうしたらうまくいく、が言えない時代にわたしたちができることはお互いの共通項を探ぐり、お互いの差異を認めた上で、不確かさを共に歩むことかもしれません。

相手のニーズを探り今ある状況を明らかに整理して、お互いの立場を尊重する姿勢を示すという土台の元で、交渉のテーブルが出現します。



強いものがこのように振る舞うほど不確かな世界は動きます。
世界は先手の味方だとわたしは感じます。


ラベリングはほぼ意味をもちません。
なぜならラベリングをして個別にグループごと固まっていても、不確実な時代なのでやがて霧散します。
霧散した責任をお互いになすりつけても、不確実な時代、ただ虚しいだけです。



わたしは個人的に世界についてこのようにぽやっと考えていますが、みなさまはどうですか。
みなさまはみなさまでさまざまな世界観を持たれているかと思います。

それでいいとわたしは思います。
なにかひとつ、それがいいとはわたしは思いません。



世界は分断を望んでいるのではなく、不確実な大海を泳ぐひとびとを繋ぐことができる人間を願っているのかもしれません。
では今日はこのあたりで。
花雨。でした。
また会いましょう。



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2026/01/17 09:07 | 未選択
明けましておめでとうございます。

おはようございます。
花雨。と申します。

降っても濡れない花雨。と覚えてみてください。

明けましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願い致します!

こちらは真冬で風が強いです。
みなさまの居場所はどうですか。

今年は朝からコーヒーを片手に本を読みました。
今村夏子さんの小説、「あひる」です。


図書館からお借りした何冊かの本のなか、今村夏子さんの本が2冊ありました。
「あひる」と「むらさきスカートの女」です。

むらさきスカートの女はあひるより先に読みました。

むらさきスカートの女は、話題作でありタイトルだけはわたしでも聞いたことがあったのですがホラー作品だとずっと勘違いしていて、(わたしはあらすじをあまり調べずに本を選んでしまいます。そして怖い話が苦手です)気にはなっていたのですが、手に取れずにいました。

最近になって図書館で本を開いて数行読んでみて合いそうだったため借りてみました。
読み始めますと、最中はぐいぐい物語の世界観にひっぱられます。
ときおりくすりと笑いながら読み進められ、爽やかな読後感覚がわたしにはありました。

物語のなかの、不穏な日常それぞれの登場人物の価値観がシーソーのようにぐらぐら揺らいでいるような感覚がずっとあります。
読んでいる間はそのめまいのような感覚がなんだか楽しかったです。

登場人物全員に、本当は誰が真っ当なんだろうか?とはてなマークがつくことがこの物語の愛嬌のひとつだとわたしは感じました。

正しくはなくても解答が示されなくても、不条理を不思議がり進むこの物語はリアルであって、わたしは素敵だなと思う小説でした。

今日は、「あひる」はどんな小説なのかなと思い、読みすすめました。

あひるのほうも日常を吊り橋のように不安定にぐらぐらさせて日常とはこういうものだといった価値観や、レッテルやお作法などの無意識のひとびとの決めつけをくらくら揺らがせるような物語です。

しかしそれでも今村夏子さんの描く小説は、浮かぶ日常のきらめきを優しくすくいとる物語が多いような気がしました。

小説にリアリティをわたしはとても感じます。

今村夏子さんの小説は、特に生活のルーティンに息が詰まるひとびとに広く読んでいただきたい小説だとわたしは思いました。



みなさまは本を読みますか。
読書は地味に体力や時間と、場合によりお金もかかる趣味ですが、他者の頭のなか、価値観や考え方を借りることができるため、わたしは物語の世界観に投げこまれているとき新しい空気を吸っています。

虚構であっても情報であっても、日常や生活が目詰まりする、どこかとどこおる、その裂け目を教えてくれるような気がする、それがわたしにとっての読書です。

頭を殴られるような物語にいつか出会えたらよいです。

年始、みなさま風邪などひかぬよう体調を気をつけてくださいね。

以上、花雨。でした。
また会いましょう。



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2026/01/01 10:00 | 未選択
ちょこまか いんざはうす。
こんにちは。花雨。です。
今日はおうちの中で、ちょこまかふたたびです。


午前中、東京サラダボウルの続きを見たり休んだりしながら(7話まで視聴できました)、休んでいる間は母から頼まれた栗きんとんや厚めの卵焼きを作りました。



栗きんとんは手軽に作れるもので濾すなど難しい作業はカットされ、厚めの卵焼きは具材だけは少しだけ年末年始っぽくなったものです。 
でもわたしは好きな味です。


栗きんとんの作り方。


さつまいもを4センチくらいずつカット、水から串がしっかり通るまで鍋で茹で、茹で上がったらザルに上げてお湯を切ります。
この間に市販の栗の蜜漬けから栗だけを取り出し2分の1にカットします。
蜜は捨てずのこしておきます。


茹で上がったさつまいもに包丁で切れ目を入れそこからどんどん皮をはがしていきます。
鍋に皮をはがしたさつまいもを入れて木べらであらくつぶします。


つぶされたさつまいもが入った鍋に栗の蜜を少しずつ垂らしながら弱火にかけ焦げないように気をつけながら木べらで練ります。
塩を少々ふりかけさらに練り、お好みの甘さと水分量(舌ざわり)になれば、最後カットしておいた栗を投入し、練り、完成です!
厚めの卵焼きの作り方。

小皿に多めのごま油を垂らしておき、おりたたんだキッチンペーパーに油をしみこませます。
卵を5、6個ボウルにわり、カニカマを4、5本割き、きざんだネギを卵液に入れめんつゆ小さじ1、本みりん小さじ2分の1、塩少々を卵液に投入しかき混ぜます。
卵焼き用のフライパンをよく熱し、ごま油をしみこませたキッチンペーパーを菜ばしでつかんでぬりひろげます。
あとは卵液を熱したフライパンにおたまでそそぎ、ふつうに卵焼きを厚めに作り完成です。
わたしはかなり厚めの1本にしてしまいちょっと失敗しましたが、(年末なのでそのほうがスペシャル感がでそうだと思ったのですがふつうにかたちが大変なことになりました)2本分でも厚めになると思います。


この厚め卵焼きは塩味に近いです。


わたしは料理が得意ではありませんがこんな感じで今日は午前中、料理を少しだけしました。
あとはトイレ掃除と自分の部屋の掃除機がけをして午前中のちょこまかは終わりました。


午後はブログを書いています。

今日は紅白の日でもありますね。
楽しみです。
起きていられないような予感がしたため録画したのですが生放送でTVでも見てみたいわたしです。


みなさまは年末のお供はなんですか。

人それぞれ落ち着くものと一緒にいられると幸せです。
来年のことは来年のご自身がなんとかしてくださいます。

みなさま。安らかに良いお年をおむかえくださいませ。



今日はこのあたりで。
ではまた会いましょう。
花雨。でした。

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2025/12/31 14:05 | 未選択
ドラマ 東京サラダボウル。
こんばんは。花雨。です。


今、東京サラダボウルというドラマの再放送を録画して、4話まで視聴しています。
わたしは初見なのですが大変楽しく見ています。
ドラマのなか主人公の女性警察官はとてもおいしそうにさまざまな国々の料理(ゲテモノを含む)を食べるシーンがあるのですが、わたしはそれを見ていてとても気持ち良く、その女性警察官の懐の深さと自由さを感じます。


自分自身の枠外の事柄や事情も自らの腹におさめ進んでいくような、生きる強さがあるキャラクター性を表しているのかなと個人的に思います。

ドラマは物語の性質上、日本語だけではなく英語、中国語、ベトナム語など多種類の言語が飛び交います。
ドラマを視聴しながら、わたしはもしも自分の母国語が自分自身のこころの中でしか聞こえなかったとしたなら寂しくなるかもしれないと思い、それと同時にもしも自分の母国語だけしか聞こえない土地にいたとしたならそれは今の時代、果たして自然なことなのだろうか、とも考えました。
言葉違う、信仰が違う、文化が違う、歴史が違う、良きこと悪いことが違う、背景が異なる。


暗黙の了解や前提、しきたりはすでに自国だけのことではなく、世界が以前より遠くない現代は、多種多様な国々がサラダボウルみたいに隣り合ったり対角上にいたり、主役級になったり脇を固めたりそれでも共に生きることで、言葉はかかわりあいを生み、お互いの信仰を尊重をし、文化はさらに発展して、歴史から学び合い、良きこと悪いことの人類の共通点を探り出せるものかもしれません。


通じることのほうが実は自然ではないこと、ドラマを視聴していて改めて気がつかされました。
違うのに通じたとしたならそれは、お互いの背景へのお互いの努力のたまものだとわたしは感じます。

NHKドラマ 東京サラダボウル、おすすめです!
わたしはまだ4話まで視聴中ですが、これからどう物語が転がっていくのかわくわくします。
最終回まで走り抜きたいです。
ちなみに同じくNHKドラマ ひらやすみ。もおすすめです。(年末年始に再放送があるそう)
こちらは1話15分ほど。

若い大人たちのゆるやかまったり息抜きエモーショナルな青春ドラマとわたしは思っています。
ひらやすみ。は無事完走できました。

ひらやすみ。は邦画のような演出だなとも感じました。
とても落ち着いたリズムで日常を鮮やかに描いた秀逸なドラマで、面白かったです!


では今日はこのあたりで。
おやすみなさい。
また会いましょう。

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2025/12/30 21:00 | 未選択

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