今日は平日のミスタードーナツにおじゃましました。
ブログを外出先で書いてみるということをしてみます。
広告でたまたま知った春らしい桜もちっとドーナツ(カスタード)と温かい紅茶(ホットダージリンティーストレート)を頼みました。
イートインで飲む温かい紅茶ってとても美味しいです。
平日の午前中にゆったり過ごせる豊かな時間です。
実は一度記事が消えてしまいました!
保存されていなかったのです。
ミスドでお茶しながらつらつらと考えたのですが、人間の人間らしい特徴は良くも悪くも余計なことをすることだと思いました。
スマートで合理的なAIが活躍し大量の情報が日々世界中に素早く垂れ流され、少子高齢化により人々がどんどん消えゆく時代です。
なんだか、人間にこれからの時代、わたしたちはなにを求めたら良いのだろう?とぽやっとわたしは考えます。
人間が面倒がる作業や仕事はAIやロボットが人間より完璧にスムーズにしてくれる時代です。
人間らしい特徴、人間らしさとは良いも悪いも余計なことをすることだとわたしは言いました。
そのひとつが想像です。
想像は人間らしい能力のひとつです。
わたしは想像力のある人々、思いやりのある人々といると自然と生き生きとします。
わたしは生き生きとはしますが人によって想像は余計なことでもあります。
マニュアル通り決まり通り、上司や世間に命じられたとおりただ黙ってすればよいという風潮は今やどこにでもありふれたスタンダードな考え方です。
想像が入る余地の無い世界観がわたしたちの生活のそこここに染み渡っています。
ひととひとは想像以上に別個の身体を持った人間です。
お互いの喜びや痛みや苦しみを想像することでやっと分かち合いますが、それはそのひとの喜びであり、喜びの感度はそのひとにしかわかりません。(痛みや苦しみもそうです。表現上嘘をつくこともできます)
お互いに想像力で理解し合っているようで実はお互いを知らない(知ることができない)、お互いにとって幻想的な空間が想像です。
想像を学ぶ必要性を感じないまま現代は、難なく生きることができてしまう時代なのかもしれません。
想像をすることは人間らしい能力であり良くも悪くも余計なことです。
良くも悪くも余計なことを人々がせざるを得ないとき。
それはたぶん、平常時ではないかもしれません。
他者の喜び、痛み、苦しみを本当に真摯に知りたいとき、そこには思いやりが生まれます。
お互いに想像力が無いと他者の心内の扉は外へは開かれません。
想像が必要とされない世界で想像力を持つということは厳しいことであると同時に誰かのこころの癒しにもなり得ます。
人間ができてロボットやAIにはできないことは良いも悪いも余計なことです。
ホスピタリティレベルの気遣いやおもてなしはわたしはAIやロボットだけではかなり難しいのではないかとこっそりと感じます。
そしてわたしは必ず、やがて世界中で求められるようになることが良いも悪いも余計なことに収束されそこから発展していく事柄であるような気がします。
もしも、今あなたが。
良いも悪いも余計なことに出逢ったら。
それはチャンスかもしれません。
あるいはオアシスの種かも。
人間らしさという想像力をなるべく失わないようにしたいと感じつつ、今日のブログを終わります。
また会いましょう。
花雨。でした。
※記事が消えたため、書き直しミスドでコーヒーを追加で頼みました!おかわりの仕方がやっとわかりました。
お久しぶりです。
スマートフォンが壊れてしまったので、代替機にて更新します。
今日はお昼からお暇さんだったため、お天気もあたたかいのでおさんぽがてらある喫茶店にお邪魔しました。
ランチ以外に一人で来店したことは無かったお店なのですが、ちょっと勇気を出して(近頃、体験にお金を使うように挑戦しているのです!)、喫茶店のドアをくぐりました。
ランチ終了間際だったのですがお客さまがすでにたくさんいらして、みなさまパフェや飲み物をお頼みになって大切な人たちとの会話を楽しんでいました。
わたしはおひとり様だったので空いている席があるかな、他の候補の喫茶店へ向かおうかなと迷いました。
入店してみたらカウンター席に通してくださり、幸運でした。
メニューを眺めて何度かいただいたことのあるデザートのバナナキャラメルクレープと温かい紅茶を注文しました。
しばらくして紅茶が先に来たのでゆっくり味わって飲みました。
バナナキャラメルクレープのお皿が来て写真を撮ってから(惜しくも撮れていなかったのですが!)ナイフとフォークでいただきました。
アーモンドとキャラメルソースの香ばしさが、ふわりとした生クリームと合うととても美味しく、クレープに包まれたバナナは甘く、紅茶のスパイシーさと交互に食べました。
これで満足……と帰ろうとしたのですが、他のお客さまがストレートコーヒーをご注文しまして(コロンビアやブルーマウンテンなどと頼むコーヒー)、たまたまわたしの席から見える位置にコーヒー台が置かれていて、マスターご夫妻がコーヒーを淹れる作業をしている様子が見えたのです!
豆を挽き手早くコーヒーが一杯、出来上がりました。
わたしはここの喫茶店でブレンドコーヒーはデザートセットで頼んだことがあったのですが、ストレートコーヒーは無かったため、わたしもストレートコーヒーを生まれて初めて喫茶店で頼んでみました。(なんだか大人気分です)
わたしのコーヒーもマスターが豆を挽き不思議な機械でドリップして素早くコーヒーができました。
看板に出ていたコーヒーの甘み、苦み、酸味、コクの深さなどの比較表をじっと見つめてわたしは苦みが少ないストレートコーヒーを頼んでいました。
運ばれてきたコーヒーは口をつける前の香りが芳しく、刺々しい苦みは少なくまろやかでわたしにとっては飲みやすく温かくて美味しかったです。
コーヒー単体でも満足いくものでした。
この喫茶店はランチメニューも美味しいものが多く(カレーライスやパスタ、揚げ物定食など)、普段は身内と食事の利用がどちらかというとわたしは多いのですが、この喫茶店のストレートコーヒーをきちんと頼み飲んだことは初めてだったので、喫茶店らしさある新しい体験を今日できました。
ストレートコーヒーはブレンドコーヒーよりお値段は確かにしますがわたしにとっては満足感がありました。
追加で頼んで良かったと思いお会計をしてお店を後にしました。
春めいてきたからなのか、夕方まだ日が長くておさんぽしながらわたしは帰宅しました。
おひとり様でも大切な誰かといても、自分の人生に集中できるってとても幸せなことだなと思います。
そうではないタイミング、自分以外のことを考えなければならざるを得ない時期というものは厳しい今の時代誰にでもあるのでは、と感じます。
心配事を上手に切り替えて生きられる人たちもいますが、それは金銭面時間面人脈面、支援面など溜めのある人々、資源がすでにある持てる人々が多いのではと正直思います。
溜めの無い人々ほど生活が引っかき回されるほど困り果てているのに助けてすら届かない立場に追いやられていることは現代めずらしくないような気がわたしはします。
大なり小なり気晴らしができることは間違いなく幸せです。
自分のことを今、きちんと考えて良いのですから。
人生から呼ばれるように心配事に掴まることは誰にでもあるので、わたしは幸せで良いのかなと不安に思うひとには幸せで良いのです、と言葉強く返事をしたいです。
今日のとうめい。は喫茶店にて見つかりました。
ではこのあたりで。
また、会いましょう。
おはようございます。
花雨。と申します。
降っても濡れない花雨。と覚えてみてください。
明けましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願い致します!
こちらは真冬で風が強いです。
みなさまの居場所はどうですか。
今年は朝からコーヒーを片手に本を読みました。
今村夏子さんの小説、「あひる」です。
図書館からお借りした何冊かの本のなか、今村夏子さんの本が2冊ありました。
「あひる」と「むらさきスカートの女」です。
むらさきスカートの女はあひるより先に読みました。
むらさきスカートの女は、話題作でありタイトルだけはわたしでも聞いたことがあったのですがホラー作品だとずっと勘違いしていて、(わたしはあらすじをあまり調べずに本を選んでしまいます。そして怖い話が苦手です)気にはなっていたのですが、手に取れずにいました。
最近になって図書館で本を開いて数行読んでみて合いそうだったため借りてみました。
読み始めますと、最中はぐいぐい物語の世界観にひっぱられます。
ときおりくすりと笑いながら読み進められ、爽やかな読後感覚がわたしにはありました。
物語のなかの、不穏な日常それぞれの登場人物の価値観がシーソーのようにぐらぐら揺らいでいるような感覚がずっとあります。
読んでいる間はそのめまいのような感覚がなんだか楽しかったです。
登場人物全員に、本当は誰が真っ当なんだろうか?とはてなマークがつくことがこの物語の愛嬌のひとつだとわたしは感じました。
正しくはなくても解答が示されなくても、不条理を不思議がり進むこの物語はリアルであって、わたしは素敵だなと思う小説でした。
今日は、「あひる」はどんな小説なのかなと思い、読みすすめました。
あひるのほうも日常を吊り橋のように不安定にぐらぐらさせて日常とはこういうものだといった価値観や、レッテルやお作法などの無意識のひとびとの決めつけをくらくら揺らがせるような物語です。
しかしそれでも今村夏子さんの描く小説は、浮かぶ日常のきらめきを優しくすくいとる物語が多いような気がしました。
小説にリアリティをわたしはとても感じます。
今村夏子さんの小説は、特に生活のルーティンに息が詰まるひとびとに広く読んでいただきたい小説だとわたしは思いました。
みなさまは本を読みますか。
読書は地味に体力や時間と、場合によりお金もかかる趣味ですが、他者の頭のなか、価値観や考え方を借りることができるため、わたしは物語の世界観に投げこまれているとき新しい空気を吸っています。
虚構であっても情報であっても、日常や生活が目詰まりする、どこかとどこおる、その裂け目を教えてくれるような気がする、それがわたしにとっての読書です。
頭を殴られるような物語にいつか出会えたらよいです。
年始、みなさま風邪などひかぬよう体調を気をつけてくださいね。
以上、花雨。でした。
また会いましょう。
