おはようございます。わたしの名前は花雨。です。
みなさまの世界で今、雨は降っているのでしょうか。
こちらは雨音静か灰色の空模様です。
雨音連なる粒が丸く跳ね飛んで日常少し疲れた耳に心地良いです。
豪雨だといろんな心配をわたしはしてしまうのですが、通常の雨降りは自然からの伝言のひとつかもしれないと想像します。
人びとのルーティン生活とは関係なくときおり差し出される天然からの手紙のように思えるのです。
そこに何を読みとるのかは人びとそれぞれだと思いますが、わたしの場合は忘れないで、です。
雨にまつわる想い出を忘れないで、です。
想い出はいつも不思議です。
忘れているからこそ想い出せるのです。
想い出せると、記憶は新たな解釈のもとふたたび鮮やかに解放され自由に羽根を広げまたわたしのてもとに帰ってきます。
螺旋を描き飛ぶ小鳥がわたしの想い出の理由、記憶のことわりです。
あの雨にまつわる想い出をわたしはこの場所でお話をすることはとても難しいのです。
ただ、あの雨音をわたしはきっとこれから先も想い出します。
問いかけとしてある沈黙として、切実な優しい手紙として。
みなさまはそんな記憶はありますか。
雨によって豊かに呼び醒まされる想い出はなにか、ありますでしょうか。
小さくても深くてもその記憶は想い出せば雨音が慰めるよう撫でてくれます。
雨降りのときは町も人びとも眠り沈むよう穏やかな空気感をわたしは覚えます。
今朝は雨降りのお話でした。
みなさま。
休日のかたはゆっくりお休みになって好きなことをどんどんして心身ともに回復してくださいませ。
お仕事あるかたは、あなたのお仕事をお待ちになっている方々のため、日々の生活の潤いのひとつとしてお金という血をいただいてくださいませ。
ではまたこの世界でお会いしましょう。
みなさまの世界で今、雨は降っているのでしょうか。
こちらは雨音静か灰色の空模様です。
雨音連なる粒が丸く跳ね飛んで日常少し疲れた耳に心地良いです。
豪雨だといろんな心配をわたしはしてしまうのですが、通常の雨降りは自然からの伝言のひとつかもしれないと想像します。
人びとのルーティン生活とは関係なくときおり差し出される天然からの手紙のように思えるのです。
そこに何を読みとるのかは人びとそれぞれだと思いますが、わたしの場合は忘れないで、です。
雨にまつわる想い出を忘れないで、です。
想い出はいつも不思議です。
忘れているからこそ想い出せるのです。
想い出せると、記憶は新たな解釈のもとふたたび鮮やかに解放され自由に羽根を広げまたわたしのてもとに帰ってきます。
螺旋を描き飛ぶ小鳥がわたしの想い出の理由、記憶のことわりです。
あの雨にまつわる想い出をわたしはこの場所でお話をすることはとても難しいのです。
ただ、あの雨音をわたしはきっとこれから先も想い出します。
問いかけとしてある沈黙として、切実な優しい手紙として。
みなさまはそんな記憶はありますか。
雨によって豊かに呼び醒まされる想い出はなにか、ありますでしょうか。
小さくても深くてもその記憶は想い出せば雨音が慰めるよう撫でてくれます。
雨降りのときは町も人びとも眠り沈むよう穏やかな空気感をわたしは覚えます。
今朝は雨降りのお話でした。
みなさま。
休日のかたはゆっくりお休みになって好きなことをどんどんして心身ともに回復してくださいませ。
お仕事あるかたは、あなたのお仕事をお待ちになっている方々のため、日々の生活の潤いのひとつとしてお金という血をいただいてくださいませ。
ではまたこの世界でお会いしましょう。
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こんばんは。花雨。です。
今日はわたしなりの他者の死の、噛み砕きかたをお伝えさせてください。
いきものが死ぬと鮮やかな命の音が止みかわりに不在の音が地上に鳴り響く気がわたしはします。
不在の音は圧倒的に空白ですが周りの人びとならではの喜怒哀楽、その祭りのような騒々しさを渦のごとく吸い込むスポットとして、不在の音は地上に存在感をあらわしているとわたしは思っているのです。
死んだあとそのいきものの存在は朽ちて世界の目には見えないことが現代の常識のひとつです。
それでももう二度とその存在はありのままの姿を見せないけれども、圧倒的なそのものの不在をとおして周りの人びとは波立たせられます。
その波こそ、不在の音の証明でありなくてはならないいきものが消失してしまった深い哀しさだとわたしは感じます。
人は皆死んでしまうのですが、そのひとの存在感というものはなかなかのこされた周りの生きる人びとにとって消すことが難しいのでは、とわたしは思うのです。
不在の音の響きの広がりは生前のそのひととのこされた周りの人びとの存在感のつながり、絆のひと種類だとも思います。
誕生したときから人間は存在感を命から放ちます。
わたしはそのことに畏れと不思議さを覚えます。
ひとは死んだらどうなるのかはわたしにはわかりません。
ただ、死んだらそれで全て終わりという事実については無味乾燥な思いを個人的には抱いてしまいます。
ひとりぽっちで死んでも皆に看取られながら死んでも、それが人間でもペットや動物でも。
現代は誰かや何かと存在感ですでに繋がってしまっている世界なのかもしれません。
そのことが良いことか悪いことなのかはわたしにはまだ不勉強なためわからないことが多いのですが、不在の音広がる響きを無視はできないとわたしは感じることも確かです。
みなさまは自分自身の死や他者の死についてお考えになることはありますでしょうか。
わたしは死はまだわかりませんが、不在という胸に冷たい圧倒的な存在感、今まで生きているものが本当に事実として消失するという重さの深さはこれからも忘れたくはないのです。
みなさまは今日はどんなとうめい。を見つけましたか。
ではまた、この世界でお会いしましょう。
今日はわたしなりの他者の死の、噛み砕きかたをお伝えさせてください。
いきものが死ぬと鮮やかな命の音が止みかわりに不在の音が地上に鳴り響く気がわたしはします。
不在の音は圧倒的に空白ですが周りの人びとならではの喜怒哀楽、その祭りのような騒々しさを渦のごとく吸い込むスポットとして、不在の音は地上に存在感をあらわしているとわたしは思っているのです。
死んだあとそのいきものの存在は朽ちて世界の目には見えないことが現代の常識のひとつです。
それでももう二度とその存在はありのままの姿を見せないけれども、圧倒的なそのものの不在をとおして周りの人びとは波立たせられます。
その波こそ、不在の音の証明でありなくてはならないいきものが消失してしまった深い哀しさだとわたしは感じます。
人は皆死んでしまうのですが、そのひとの存在感というものはなかなかのこされた周りの生きる人びとにとって消すことが難しいのでは、とわたしは思うのです。
不在の音の響きの広がりは生前のそのひととのこされた周りの人びとの存在感のつながり、絆のひと種類だとも思います。
誕生したときから人間は存在感を命から放ちます。
わたしはそのことに畏れと不思議さを覚えます。
ひとは死んだらどうなるのかはわたしにはわかりません。
ただ、死んだらそれで全て終わりという事実については無味乾燥な思いを個人的には抱いてしまいます。
ひとりぽっちで死んでも皆に看取られながら死んでも、それが人間でもペットや動物でも。
現代は誰かや何かと存在感ですでに繋がってしまっている世界なのかもしれません。
そのことが良いことか悪いことなのかはわたしにはまだ不勉強なためわからないことが多いのですが、不在の音広がる響きを無視はできないとわたしは感じることも確かです。
みなさまは自分自身の死や他者の死についてお考えになることはありますでしょうか。
わたしは死はまだわかりませんが、不在という胸に冷たい圧倒的な存在感、今まで生きているものが本当に事実として消失するという重さの深さはこれからも忘れたくはないのです。
みなさまは今日はどんなとうめい。を見つけましたか。
ではまた、この世界でお会いしましょう。
花雨。と申します。
はじめまして。こんにちは。
ブログをはじめてみました。
ブログそのものが初心者なのでこのページがうまく表示されるのかとても不安です。
ブログの名前はとうめい。です。
あるのにないわたしの日常を書きつづりたいのです。
街にもおうちの中も色や音があふれる現代です。
それらは、みなが自身の存在を叫ぶ悲痛な声にわたしにはときおり聴こえるのです。
それぞれの空間にて、あるのにないとされるとうめい。に耳を傾け沈黙をくみとったり見えないものを見つけ出してみたりそんなわたしの日々を描きたいです。
ちなみにわたしは幽霊やスピリチュアル、オカルトの類は見えないしまったく気がつかず通り過ぎていると思われます。
それらは本やTVから恐い印象が多いのであまりわたしは得意ではありません。
ごめんなさい。
みなさまも実は日々とうめい。なできごとに触れていると思います。
あるものはもちろん美しいです。
ただ、あるものの合間に漂うなにかを、ときどき思い起こしてみてくださると少しだけ日常の喧騒の重さを静かな懐かしさが包んでくれるかもしれません。
小鳥はただ鳴いているのではありません。
なにかに応えるよう仲間たちと会話をし喉からころころ色彩豊かな綺麗な音を出します。
風のそよぎはわたしのこころを他の誰かよりも理解してくれるかのよう、ときに柔らかく腕を撫でてくれます。
羽根を広げる爽快感を覚えさせるあの遠い青空はこの大地に生き抜くわたしたちの頭上を見届けるよういつも何も言わないでいてくれるのです。
みなさま。
街路樹の若く明るい緑と桜色の芽吹きにこころ奪われる季節をどのような歩幅で歩かれますか。
花雨。はもしかしたらあなたと縁づいてすれ違っているかもしれません。
ではまたこの世界でお会いしましょう。
はじめまして。こんにちは。
ブログをはじめてみました。
ブログそのものが初心者なのでこのページがうまく表示されるのかとても不安です。
ブログの名前はとうめい。です。
あるのにないわたしの日常を書きつづりたいのです。
街にもおうちの中も色や音があふれる現代です。
それらは、みなが自身の存在を叫ぶ悲痛な声にわたしにはときおり聴こえるのです。
それぞれの空間にて、あるのにないとされるとうめい。に耳を傾け沈黙をくみとったり見えないものを見つけ出してみたりそんなわたしの日々を描きたいです。
ちなみにわたしは幽霊やスピリチュアル、オカルトの類は見えないしまったく気がつかず通り過ぎていると思われます。
それらは本やTVから恐い印象が多いのであまりわたしは得意ではありません。
ごめんなさい。
みなさまも実は日々とうめい。なできごとに触れていると思います。
あるものはもちろん美しいです。
ただ、あるものの合間に漂うなにかを、ときどき思い起こしてみてくださると少しだけ日常の喧騒の重さを静かな懐かしさが包んでくれるかもしれません。
小鳥はただ鳴いているのではありません。
なにかに応えるよう仲間たちと会話をし喉からころころ色彩豊かな綺麗な音を出します。
風のそよぎはわたしのこころを他の誰かよりも理解してくれるかのよう、ときに柔らかく腕を撫でてくれます。
羽根を広げる爽快感を覚えさせるあの遠い青空はこの大地に生き抜くわたしたちの頭上を見届けるよういつも何も言わないでいてくれるのです。
みなさま。
街路樹の若く明るい緑と桜色の芽吹きにこころ奪われる季節をどのような歩幅で歩かれますか。
花雨。はもしかしたらあなたと縁づいてすれ違っているかもしれません。
ではまたこの世界でお会いしましょう。
