こんばんは。
花雨。と申します。
今日は朝、雨降りでしたが午後になるにつれだんだんと広く青空と太陽が顔を出していました。
のどかな日常のひとつでした。
わたしはそのようななかウクライナの若者たちのドキュメンタリー番組を視聴いたしました。
1時間ほどでずっと前に録画をしていたものをようやく見られました。
ウクライナ東部のドンバス地域にいらっしゃる若者たちの日常がていねいに描写されています。
戦争というお互いの国の決断で、どのようなかたちで人びとの実際の生活や人生が分断され翻弄されてしまうのかがリアリティをもって心に迫ります。
ウクライナの若者たちや大人たちに影落とすよう染みわたる静かな絶望感や深い諦念を簡単に払拭することはできない現状があることも胸を締めつけられる思いです。
彼らそれぞれが認めざるを得ない生活を営みながらも、それでもトライをあきらめない力強いメッセージ性を、そのドキュメンタリーからわたしは感じられました。
若者たちそれぞれの夢や将来への本来あるべき道すじに起こるできごとは戦争という分断の恐ろしいまでの強靭さをまざまざと見せつけるかのようです。
事実としてありえないことがありえてしまう激しい悲哀が戦争被害のひとつだとわたしは思いました。
ウクライナの風景はわたしの住む土地とどんな違いがあるのだろうとも思います。
青空も雪も広大な土地も。
衣服、スマートフォンから漏れ出る情報、ペットに向ける微笑みや親子関係の厳しさ、友人関係の大切さも。
ドキュメンタリーを見ている限りではわたしはとくだん異質さを感じず、とくに青空は、日本もウクライナも同じように見えるのです。
番組で彼らは銃声や戦車の音を聞き、不足している物資をなにかで補い、工夫せざるを得ないまま生活を営んでいました。
わたしにとってドキュメンタリー番組を視聴するということは、遠い世界観が、知るという能動的な行為でわたしのほうへ一歩ずつ歩みよってくださるイメージなのです。
ウクライナの光景は人びとも風景もわたしにとってはもう無かったことにはなりません。
ウクライナという国だけではなく本当はそういった分断という哀しみは世界中にあふれているのだと改めて感じます。
わたしは今まで見えないのではなく、見ないふりをしていたということです。
今まで通りすぎて立ち止まることができなかったということでもあります。
わたしはさまざまな想いを抱いたNHK BSで再放送されていたドキュメンタリー番組でした。
みなさまもなにか機会がございましたらぜひ視聴してみてください。
今日はこのあたりで。
またお会いいたしましょう。
花雨。と申します。
今日は朝、雨降りでしたが午後になるにつれだんだんと広く青空と太陽が顔を出していました。
のどかな日常のひとつでした。
わたしはそのようななかウクライナの若者たちのドキュメンタリー番組を視聴いたしました。
1時間ほどでずっと前に録画をしていたものをようやく見られました。
ウクライナ東部のドンバス地域にいらっしゃる若者たちの日常がていねいに描写されています。
戦争というお互いの国の決断で、どのようなかたちで人びとの実際の生活や人生が分断され翻弄されてしまうのかがリアリティをもって心に迫ります。
ウクライナの若者たちや大人たちに影落とすよう染みわたる静かな絶望感や深い諦念を簡単に払拭することはできない現状があることも胸を締めつけられる思いです。
彼らそれぞれが認めざるを得ない生活を営みながらも、それでもトライをあきらめない力強いメッセージ性を、そのドキュメンタリーからわたしは感じられました。
若者たちそれぞれの夢や将来への本来あるべき道すじに起こるできごとは戦争という分断の恐ろしいまでの強靭さをまざまざと見せつけるかのようです。
事実としてありえないことがありえてしまう激しい悲哀が戦争被害のひとつだとわたしは思いました。
ウクライナの風景はわたしの住む土地とどんな違いがあるのだろうとも思います。
青空も雪も広大な土地も。
衣服、スマートフォンから漏れ出る情報、ペットに向ける微笑みや親子関係の厳しさ、友人関係の大切さも。
ドキュメンタリーを見ている限りではわたしはとくだん異質さを感じず、とくに青空は、日本もウクライナも同じように見えるのです。
番組で彼らは銃声や戦車の音を聞き、不足している物資をなにかで補い、工夫せざるを得ないまま生活を営んでいました。
わたしにとってドキュメンタリー番組を視聴するということは、遠い世界観が、知るという能動的な行為でわたしのほうへ一歩ずつ歩みよってくださるイメージなのです。
ウクライナの光景は人びとも風景もわたしにとってはもう無かったことにはなりません。
ウクライナという国だけではなく本当はそういった分断という哀しみは世界中にあふれているのだと改めて感じます。
わたしは今まで見えないのではなく、見ないふりをしていたということです。
今まで通りすぎて立ち止まることができなかったということでもあります。
わたしはさまざまな想いを抱いたNHK BSで再放送されていたドキュメンタリー番組でした。
みなさまもなにか機会がございましたらぜひ視聴してみてください。
今日はこのあたりで。
またお会いいたしましょう。
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こんばんは。花雨。と申します。
わたしは他者の背中をつい、よく見てしまいます。
そっと眺めています。
その背中は良いとか悪いとかわたしの価値判断をいつもこえるのです。
他者の背中は無防備でそのかたの通ってこられた道のりと瞬間の生き様の交差点があらわされているかのように、わたしには思えてしまいます。
わたしは真正面からだったり通り過ぎるときだったりには他者をあまり見つめたりはしないのですが、背中はよく目に入れます。
わたしが興味のあるかたたちであればなおその背中の、年月を経て形作られた考えかたやときどきの感情などを見届けてこっそりわたしなりに応援したり心配したり、その背中の行く先がなるべくそのかたがたにとって腑に落ちより良いところへまずは落ち着くよう、祈ります。
他者の背中はその他者のものです。
背中は誰の所有物にもならないものです。
誰のものでもないのに実在している限り誰にとってもその背中は見えてしまいます。
背中は見えないご本人の無自覚な人生の色彩をわたしは少し遠くから見つめ、わたし自身の背中はわたしが生むどんな言葉たちより雄弁だろうと厳しく思い出します。
見れば、見られます。
常識のひとつではありますがなかなか怖い事実であるとわたしは思います。
ときどき雨ざらしの背中を見上げることがあります。
打ちつける雨槍を我が身ひとつでしたたかに進み、胸奥に発火点を保ちながら過去と現在を夢中で繋ぐ背中。
誰にもできるわけではなく誰でもいいわけではない雨ざらしのワンシーンです。
わたしはなにかに夢中な人びとの背中が好きです。
それは見る、見られるという垣根をはらった背中です。
背中はときに顔より語ります。
みなさまはどのような背中をされていらっしゃるのでしょう。
わたしはみなさまからどのような背中に見えるのでしょうか。
いつか、どこかで出会えたらわたしはその背中を見て学ぶことがとても多いと思います。
みなさま。
今日はどんなとうめい。を見かけましたか。
わたしは自分自身の背中のことを思いました。
では、またこの世界でお会いしましょう。
わたしは他者の背中をつい、よく見てしまいます。
そっと眺めています。
その背中は良いとか悪いとかわたしの価値判断をいつもこえるのです。
他者の背中は無防備でそのかたの通ってこられた道のりと瞬間の生き様の交差点があらわされているかのように、わたしには思えてしまいます。
わたしは真正面からだったり通り過ぎるときだったりには他者をあまり見つめたりはしないのですが、背中はよく目に入れます。
わたしが興味のあるかたたちであればなおその背中の、年月を経て形作られた考えかたやときどきの感情などを見届けてこっそりわたしなりに応援したり心配したり、その背中の行く先がなるべくそのかたがたにとって腑に落ちより良いところへまずは落ち着くよう、祈ります。
他者の背中はその他者のものです。
背中は誰の所有物にもならないものです。
誰のものでもないのに実在している限り誰にとってもその背中は見えてしまいます。
背中は見えないご本人の無自覚な人生の色彩をわたしは少し遠くから見つめ、わたし自身の背中はわたしが生むどんな言葉たちより雄弁だろうと厳しく思い出します。
見れば、見られます。
常識のひとつではありますがなかなか怖い事実であるとわたしは思います。
ときどき雨ざらしの背中を見上げることがあります。
打ちつける雨槍を我が身ひとつでしたたかに進み、胸奥に発火点を保ちながら過去と現在を夢中で繋ぐ背中。
誰にもできるわけではなく誰でもいいわけではない雨ざらしのワンシーンです。
わたしはなにかに夢中な人びとの背中が好きです。
それは見る、見られるという垣根をはらった背中です。
背中はときに顔より語ります。
みなさまはどのような背中をされていらっしゃるのでしょう。
わたしはみなさまからどのような背中に見えるのでしょうか。
いつか、どこかで出会えたらわたしはその背中を見て学ぶことがとても多いと思います。
みなさま。
今日はどんなとうめい。を見かけましたか。
わたしは自分自身の背中のことを思いました。
では、またこの世界でお会いしましょう。
花雨。と申します。晴れる青空の影が窓に映り季節の巡りを感じます。
こんにちは。
町を歩けば春もさなかです。
人さまのお庭のそばを通ると梅花の匂いも仄かにただよい白木蓮、紫木蓮の妖艶な花弁は空に向けほころびるよう咲いています。
わたしが居ますこちらはまだ濃い桃色の八重桜は芽吹くのみですが、千島桜や染井吉野はそろそろ可憐に散り吹雪く頃合い。
真冬の厳しさをのりこえまた巡る植物の生命力に町を歩くたびにわたしは踊るような驚きを覚えます。
わたし自身のしたたかな生命と薄弱な精神性を、植物たちは包みこむよう叱咤し、わたしは息をついて敬虔なきもちになるのです。
植物たちは地上に根を強く張り、新緑を鮮やかにしなり宙へ伸ばし、花をあふれさせ自ら老い枯れ種を結ぶ。
人間がいてもいなくても変わらないそのことわりを日常、わたしたちは目撃していますが日々の働きとそれぞれの目的地への道中には、植物たちの静かなまなざしはつい、通り過ぎてしまうものなのかもしれません。
現代では誰もが持ち歩くスマートフォン。
その画面の向こうインターネットの海から受けるひかりはきらびやかな熱量です。
スマートフォンの人工的な世界の温さというものは嘘ではなく確かに存在するのです。
ですが、わたしは町歩きをしているときはスマートフォンをあまり見ていないのです。
それは、肌焼けしそうな陽向と灰色の影がアスファルトへ流れ、連なる後続車のエンジン音と小鳥たちのころころとざわめく会話に耳で触れて、透る青さの空をたなびく柔らかな風を身体に感じたいからです。
テレビやインターネットで毎夜流れる傷ついている涙の数や、日々の言葉に隠れた切れ刃の血の色よりも、わたしが信じたいものが町歩きの光景にすでに在るような気がわたしはします。
すでに在るものは晴れやかに認めるしかなく、わたしは少しの敗北感と己の小ささをしみわたらせて、この自然になにを還そうかと胸の隅が微かに疼くのです。
みなさまにも町歩きをしていて思うことはなにかありますでしょうか。
その場所にとうめい。はなにかはありますか。
ではまたこの世界でお会いしてくださいね。
こんにちは。
町を歩けば春もさなかです。
人さまのお庭のそばを通ると梅花の匂いも仄かにただよい白木蓮、紫木蓮の妖艶な花弁は空に向けほころびるよう咲いています。
わたしが居ますこちらはまだ濃い桃色の八重桜は芽吹くのみですが、千島桜や染井吉野はそろそろ可憐に散り吹雪く頃合い。
真冬の厳しさをのりこえまた巡る植物の生命力に町を歩くたびにわたしは踊るような驚きを覚えます。
わたし自身のしたたかな生命と薄弱な精神性を、植物たちは包みこむよう叱咤し、わたしは息をついて敬虔なきもちになるのです。
植物たちは地上に根を強く張り、新緑を鮮やかにしなり宙へ伸ばし、花をあふれさせ自ら老い枯れ種を結ぶ。
人間がいてもいなくても変わらないそのことわりを日常、わたしたちは目撃していますが日々の働きとそれぞれの目的地への道中には、植物たちの静かなまなざしはつい、通り過ぎてしまうものなのかもしれません。
現代では誰もが持ち歩くスマートフォン。
その画面の向こうインターネットの海から受けるひかりはきらびやかな熱量です。
スマートフォンの人工的な世界の温さというものは嘘ではなく確かに存在するのです。
ですが、わたしは町歩きをしているときはスマートフォンをあまり見ていないのです。
それは、肌焼けしそうな陽向と灰色の影がアスファルトへ流れ、連なる後続車のエンジン音と小鳥たちのころころとざわめく会話に耳で触れて、透る青さの空をたなびく柔らかな風を身体に感じたいからです。
テレビやインターネットで毎夜流れる傷ついている涙の数や、日々の言葉に隠れた切れ刃の血の色よりも、わたしが信じたいものが町歩きの光景にすでに在るような気がわたしはします。
すでに在るものは晴れやかに認めるしかなく、わたしは少しの敗北感と己の小ささをしみわたらせて、この自然になにを還そうかと胸の隅が微かに疼くのです。
みなさまにも町歩きをしていて思うことはなにかありますでしょうか。
その場所にとうめい。はなにかはありますか。
ではまたこの世界でお会いしてくださいね。
こんばんは、花雨。と申します。
空気を吸う、吐く、また吸うという行為を人間ならば皆がしています。
ですがときどきわたしは呼吸がしにくいなと思う場がいくつかあるのです。
みなさまにもあったことはないでしょうか。
自分自身がその場に存在することがふさわしくないかのような場です。
より正確には制度的にも法的にも自分自身はその場にいていいはずなのに、周囲の人びとの空気感、雰囲気が冷えた氷の針のような刺々しさを感じる場です。
その空気感、雰囲気の理由は自分自身にある場合もあれば周りの人びとにある場合もあるし、自他ともに両方にその理由があったり、しっかりとした根拠が噂ていどに過ぎなかったりそもそも理由すら気まぐれで無かったり、お互いの誤解ゆえだったりします。
どんな理由であれそのような氷の場は、どんなひとであっても苦しいもので哀しさの風がこころのうちをざわめかせます。
同調圧力で渦中のひとを追いやる台風はわたしは受けることも自分自身がそのような空気感のひとつになることも、あまり好きではありませんでした。
わたしはそのような場から戦わず逃げることにしています。
氷の関係性から学ぶこともありますが、それはわたし自身が台風から抜け出してからずっと後のことだといつも思っています。
もしも現在この氷の関係性に、はまっておぼれそうになっているかたがいましたらわたしはお伝えしたいのです。
袖触れ合うも多生の縁だと思ってわたしのお話をそっと聞いてくださると嬉しいのです。
この冷たい世界から逃げられないと自分自身を思いつめてしまうまじめなかたほど氷の関係性という沼に足をとられます。
あえて申し上げます。
その空気、軽んじましょう。
その氷の世界の空気感、雰囲気を遠慮なく吸い込みましょう。
なぜなら空気を吸う、吐く、また吸うことは実に人間らしいのです。
空気は全員に平等に与えられたものであること、お金はかからないことは常識のひとつです。
本来は空気というものは誰かや誰か達が主導権を握り、切り売りできないものなのです。
そしてあなたにもっと合う、安心して空気を深く吸い吐けてまた吸える居場所は、必ずこの地上にあるのです。
まず、氷の世界からなにかを学ぶよりもそんな空気を軽んじて吸いきって欲しいのです。
きっと。その資格があるものは台風の渦中のひとだけだとわたしは思います。
創り出された同調圧力のルールから外されたものだけが、そのルールの外へ抜け出せるのです。
氷の世界から逃げることも耐えることも改革することも生き残ることも、それぞれ立派な選択肢です。
それぞれの選択肢がすっとできるかたもいらっしゃれば現在は難しいというかたもいらっしゃることが自然だとわたしは思います。
空気は地球や宇宙の歴史の恵みです。
人間だけのものではありません。
氷の世界の人びとは人間同士の空気感や雰囲気をはじめから重んじてはいません。
彼らは自分自身の氷の針のような世界観を必死に信じたいだけなのです。
わたしはあなたに。
そんな空気を軽んじて自分自身のために次の選択肢をできるかぎり自由に選んで欲しいと思います。
あなたがわたしより年若くても働きざかりでも、ひとりであっても護らねばならないものたちを抱えていても。
わたしが言えることは何ら変わりません。
その空気は軽んじて良いものです。
吸って吐いてまた吸って、あなたの生き延びる糧にして良いものです。
今日は具体的な状況へわたしのつたない言葉を送り届けてみました。
インターネットの波打ち際に、このメッセージボトルがころん、と流れ着いたなら誰かが拾い上げて開き読んでくだされば。
わたしはそう、そっと願います。
ではこの世界でまた、お会いいたしましょう。
空気を吸う、吐く、また吸うという行為を人間ならば皆がしています。
ですがときどきわたしは呼吸がしにくいなと思う場がいくつかあるのです。
みなさまにもあったことはないでしょうか。
自分自身がその場に存在することがふさわしくないかのような場です。
より正確には制度的にも法的にも自分自身はその場にいていいはずなのに、周囲の人びとの空気感、雰囲気が冷えた氷の針のような刺々しさを感じる場です。
その空気感、雰囲気の理由は自分自身にある場合もあれば周りの人びとにある場合もあるし、自他ともに両方にその理由があったり、しっかりとした根拠が噂ていどに過ぎなかったりそもそも理由すら気まぐれで無かったり、お互いの誤解ゆえだったりします。
どんな理由であれそのような氷の場は、どんなひとであっても苦しいもので哀しさの風がこころのうちをざわめかせます。
同調圧力で渦中のひとを追いやる台風はわたしは受けることも自分自身がそのような空気感のひとつになることも、あまり好きではありませんでした。
わたしはそのような場から戦わず逃げることにしています。
氷の関係性から学ぶこともありますが、それはわたし自身が台風から抜け出してからずっと後のことだといつも思っています。
もしも現在この氷の関係性に、はまっておぼれそうになっているかたがいましたらわたしはお伝えしたいのです。
袖触れ合うも多生の縁だと思ってわたしのお話をそっと聞いてくださると嬉しいのです。
この冷たい世界から逃げられないと自分自身を思いつめてしまうまじめなかたほど氷の関係性という沼に足をとられます。
あえて申し上げます。
その空気、軽んじましょう。
その氷の世界の空気感、雰囲気を遠慮なく吸い込みましょう。
なぜなら空気を吸う、吐く、また吸うことは実に人間らしいのです。
空気は全員に平等に与えられたものであること、お金はかからないことは常識のひとつです。
本来は空気というものは誰かや誰か達が主導権を握り、切り売りできないものなのです。
そしてあなたにもっと合う、安心して空気を深く吸い吐けてまた吸える居場所は、必ずこの地上にあるのです。
まず、氷の世界からなにかを学ぶよりもそんな空気を軽んじて吸いきって欲しいのです。
きっと。その資格があるものは台風の渦中のひとだけだとわたしは思います。
創り出された同調圧力のルールから外されたものだけが、そのルールの外へ抜け出せるのです。
氷の世界から逃げることも耐えることも改革することも生き残ることも、それぞれ立派な選択肢です。
それぞれの選択肢がすっとできるかたもいらっしゃれば現在は難しいというかたもいらっしゃることが自然だとわたしは思います。
空気は地球や宇宙の歴史の恵みです。
人間だけのものではありません。
氷の世界の人びとは人間同士の空気感や雰囲気をはじめから重んじてはいません。
彼らは自分自身の氷の針のような世界観を必死に信じたいだけなのです。
わたしはあなたに。
そんな空気を軽んじて自分自身のために次の選択肢をできるかぎり自由に選んで欲しいと思います。
あなたがわたしより年若くても働きざかりでも、ひとりであっても護らねばならないものたちを抱えていても。
わたしが言えることは何ら変わりません。
その空気は軽んじて良いものです。
吸って吐いてまた吸って、あなたの生き延びる糧にして良いものです。
今日は具体的な状況へわたしのつたない言葉を送り届けてみました。
インターネットの波打ち際に、このメッセージボトルがころん、と流れ着いたなら誰かが拾い上げて開き読んでくだされば。
わたしはそう、そっと願います。
ではこの世界でまた、お会いいたしましょう。
