忍者ブログ
映画『FLEE フリー』感想。
こんばんは。花雨。と申します。
今日はNHKで放送された映画、『FLEE フリー』を視聴しました。


難民であり同性愛者であるかたの過去の記憶とそれにまつわる家族のお話でノンフィクションです。
アニメーションの技法で表現されています。


ふるさとを追われること、今ここから生き延びようとすること、国境をこえるということ、異国で生活をしていくこと、どれをとっても本来ならば人道的に護られなければならないものごとが、時代や戦争や政治の理不尽なパワーとして国民全てに脅威となり降りかかる様子が赤裸々に、しかし真っ当に言葉を選んで語られている映画でした。


彼の人生は生傷疼くものだとはわたしは思うのですが、傷を抱えるからこそ生き残った人間としての彼の責任感の強さと家族や友人、最愛のひとなど周りからの信頼厚い彼の人柄がちゃんと表されている丁寧な作り方をされている映画だともわたしは感じました。


詳細はぜひ視聴していただいて、ご覧になってくださるとわたしは嬉しいです。


わたしにとってむごいという言葉が常に針の雨のように人びとに刺さる現状と、そこから這い出さざるを得ない残酷な運命の冷ややかな光を真摯に教えてくださったアニメーションです。


彼とわたしの年齢はそう変わらないと思います。
同時代を生きているのに彼とわたしは見てきた情景も見ている光景も、まったく違うはずです。


わたしは映画の中で、難民として脱出するため古びた船に乗りこみそこから荒れる船旅のなか、彼がたまたま通りかかった豪華客船を見上げているシーンがとても胸が痛かったです。


TVはいつも世界の端と端をつなぎますが、その後もそのひとの人生は続きます。
彼は最後、最愛のひとと結ばれる未来を受け入れ向き合うことができます。
そこまでいくのにどれだけの命のバトンを彼の家族たちが手渡さなければならなかったのか考えると、目に見えないけれど確かに感じる、時代や戦争や政治の強さをわたしは無視はできませんでした。


密入国は罪になると思いますが、罪とは一体誰にとってどういうことなのだろうかとわたし自身問うて考えてしまいます。


お時間あるかたでご興味がおありのかたがもしもいましたら、この映画を視聴してみてくださいませ。
90分ほどです!


では今日は映画の感想でした。
このあたりで失礼致します。
またこの世界で会いましょう。
おやすみなさい。



拍手[0回]

PR

2025/06/22 17:53 | 未選択
静かな鳥。
みなさま。こんばんは、花雨。です。
今日はひさしぶりに朝から外出をしていました。

小鳥たちのさえずりがよく聞こえる町にわたしはいます。

自宅が山に少し近いこともありますが、町を散歩していても野鳥はもちろんスズメなどの小鳥たち楽しげな声が聞こえますし、そのかわいらしい姿をよく目にとめます。


今日は駅で電車を待っているときに見上げた青空に、飛行機が音も無くゆったりと飛んでいました。
飛行機からわたしは見えませんが、わたしは飛行機がどこまで行くのかわくわくしながら見届けていました。

わたしの存在を知らない飛行機はいつも目的地に一直線です。
その無関心さ。わたしにはうらやましく見えます。


乗客の数だけある人生を運び、ひととき結び、また解き放つ乗りものです。


わたしは飛行機に乗ったことはお恥ずかしながら人生で数回しかありません。
ですが空の下の光景、空の視点はなかなか忘れられません。

飛行機の小窓から見おろす大地に無数の人が生きています。
雲の下で人間はひとりひとり一生懸命生きているからこそ、争い続けるのかもしれません。
地上の眼差しとは違う空の眼差しは、わたしにとって異空間です。
わたしはいつも地上にいて飛行機を見上げているからです。


地上のものさしと空のものさしは、それぞれ良いところがあり種類が違うようにわたしには思えます。


今日も静かな大きな白い鳥はゆうゆうとわたしの頭上を通り過ぎて行きました。
飛行機に乗る人びとは時間をこえて海をこえて目的地でなにかを為すのですね。
わくわくします。

みなさまは飛行機にはよく乗られますか?
乗っているとき地上のわたしたちを思いますか?
わたしは地上から見上げるとき、飛行機は旅というハプニングを含んだギフトを運んでいるように思うことがあります。

飛行機が無事目的地へついたとき人びとにどんな旅が神さまから贈られるのでしょうか。

それでは今日はこのあたりで。
おやすみなさいませ。
またこの世界でお会いしましょう。






拍手[0回]


2025/06/13 19:31 | Comments(0) | 未選択
くるみのてがみ。
お久しぶりです。花雨。と申します。
みなさま。日々をどのようにお過ごしでしょうか。

わたしは今日は休日、コンビニエンスストアのタルトケーキをおいしくいただけて嬉しいです。


近況報告ですが、近ごろ、わたしはある方へお手紙を書きました。

わたしはいつもショートショートのような短めの小説や詩をご本人へ出さないお手紙としてインターネットの海にボトルメッセージのごとく投げ捧げてみるのですが、今回は小説や詩という創作のかたちをとらずにあえてわたしの感情の吐露、現在をありのまま隠さずお伝えするといったかたちで、ある方が必ず読まれるように公的な手段を用いてメールにてお伝え致しました。


わたしはその方と直接お話をできる立場にはなく、誰もが理解できるような明快な理由を持ち改めてわたしからコンタクトを取り面談の場を設けることは、現時点ではとても難しいものでした。


そのため、誰かからの口伝えでも良いからその方がわたしのメールの存在をなんらかのかたちで知り、きちんとその方自身に読まれるように、多少状況を整えわたしの感情のあるがまま(その方についてのわたしの悲哀や怒り、傷の深さ)をメールでありのままお伝えしました。


もしかしたら読んでいないかもしれない、読んでいてもなにひとつわたしの文章からは感じることはないかもしれない、なにか感じていてもなんらかの誤解をされるかもしれない、など考えれば尽きませんが、わたしはあの時は小説や詩ではなくメールで生のわたしの言葉わたしの感情を書き記しその方へ確実に生のわたしの声が伝わるよう、そのうえ、その方自身があらゆる関連機関にご相談ができるようにタイミングを調整致しました。


理性と感情のせめぎ合いのなか行われた行為です。
傷のなか、生まれた言葉たちです。


その方の理由(言い分)とわたしの理由(言い分)はきっと違いますが、その平行線をなんとか超えることこそ重要で、平行線を壊すには、ほかの方々の視野、他者のちからがどうしても必要だとわたしは当時思いました。


誰が一番悪いのか。
そのような悪者探し犯人探しは無意味だとわたしはいまだ思うのです。(犯罪性があるものは種類が別です。)

多くの世の中のできごとはタイミングのすれ違いや解釈の違いそれぞれの住む世界の常識の違いによる誤解、個人の性質からくる認知の癖や特徴の度合いの課題だと思います。

その方の善悪やわたしの正誤をわたしはお伝えしたいのではなく、わたしはその方について現時点でこのような切実さ(悲哀や怒り、傷の深さ)を抱えているとその方へ直接わたしのライブ感ある声としてお伝えするのと同時に、その方がこの件についていろんな方々へご相談できるようにその扉を一気に開くことが目的でした。


閉鎖的な空間を打破する行為のひとつが自ら公的な空間で声を上げるということなのだとわたしは今回のことで改めて学びました。


生の声、生のメッセージは根底に流れる血が見えると思います。
血の無いメッセージは非常に合理的です。

その方へ、非合理で血まみれで強いわたしの生のメッセージをぶつけること、これこそわたしが今したいことであり、今、すべきことなのではないかと当時思いました。

受けとめるか、受けとめられるのか、流すか、無視をするか。
その選択肢に今度は、その方の血が流れるのです。

目に見えない血が流れる選択はやはり強いです。
世界を生き抜くものたちの美しさです。

ドラゴンボールのような世界で花雨。は生きているの? と思われた方々がもしもおられましたらすみません。
わたしはHUNTERXHUNTERのような世界にときどきいるのです。

冗談です!


ともかく、わたしはその方にできうる限りありのままの自分自身をぶつけました。
その方が強くなければわたしにはできない芸当です。

わたしのお手紙はその方に読まれたのか、わたしには結局わからないのですが差出人としてすべきことは考えつく限り致しました。

あとはその方自身と周りの方々の調整になるのかなとわたしは想像します。
なぜならわたしはその方と同じ立場にはいないからです。


お手紙の内容に偽りはありません。
そして人間の本音はわたしは複数ある、複雑性を帯びると思います。

つまり等身大のわたしのある側面が映し出されます。
ぶつからなければ音は鳴らない。
強ければ強く鳴り弱ければ弱く鳴る。
その方の本音も単純なひとつではないのではないかとわたしは思います。
やはり人間なので。

わたしはその方へきちんとぶつかるよう血のお手紙を書き確かに届けました。
その方の選択肢に流れる見えない血。
流れ出すそれがその方の人生にとって、その方の周りの人びとの未知にとって生きる糧になりますよう。


みなさまはどんな毎日でしょうか。
すみっコぐらしのような日々なら安らかですね。
みなさまのとうめい。な日々も知りたいわたしです。


ではまたこの世界で会いましょう。






拍手[0回]


2025/06/07 14:20 | 未選択
朝ごはんがある日。
こんばんは。花雨。です。

近頃、わたしの体調に波がありあまり外出できていませんでした。
ただ、今日はひさしぶりに外の空気に触れられました。

午前中の陽射しが初夏のような強さがあって風は柔らかく街路樹の緑は青々と輝いていることにまずわたしは驚きました。
春は確かに一足先に咲ったようです。

八重桜やチューリップもほころんでアスファルトを彩って大胆な散り様を見せはじめています。


今日は朝ごはんに作ったおにぎりがとてもおいしいなと思えた日でした。
わさび味のプロセスチーズをちいさなさいころ状に切ってきざんだ梅と塩こんぶで混ぜごはんにし、握って焼きのりで巻いていただきました。
お好みで焼きのりや梅を抜いても良し、粗挽きコショウやかつお節を少々加えまぶして握ってもおいしいのではと思いました。


前にもわたしはブログで書いたような気がしますが、朝ごはんのおにぎりがおいしい日はわたしにとってちょっとしあわせな日です。

朝ごはんを食べたときは体調の波やいろいろなできごとが思い出されていてちょっとだけ落ち込んでいたのですが、1日をトータルで考えてみるとやはりしあわせに近いかなと思いなおしました。

ごま入りの丸い白いミニパンを今日は買ったのでそれを明日どのようにおいしく食べようかなと今は考えています。

おいしいは目には見えないしあわせのひとつです。
今ある自分自身の健康や体調に気をつけながらいろんな種類のしあわせのためにできることをしていきたいなと思う、わたしです。


みなさまは今日はどのような1日でしたか。
とうめい。にもきっといろんな種類があるとわたしは思います。
とうめい。ななにか。
見えないけれども見えるような気がするちょっとほっとするなにかがみなさまにも見つかりますように。

ではまたこの世界で会いましょう。
おやすみなさい。


拍手[0回]


2025/05/23 19:27 | 未選択

<<前のページ | HOME | 次のページ>>
忍者ブログ[PR]