こんにちは。花雨。です。
精神的な体調に波があるため、今日の朝ごはんは元気をいただこうと思い初めて作るレシピで豪華にしてみました。
ちさ 管理栄養士の15分ワンパンごはん さんのレシピから選択しました。
生米から作るチーズリゾットです!
量が一人では多めなため、軽く2人分か、お一人だったらしっかり食べたいランチ向けになると思います。
わたしはなんだかごはんをたくさん食べたかったので、朝ごはんにしてしまいました。
レシピはフライパンにて1合の洗わない生米をバター20gで軽く炒めお水を400cc入れてコンソメを小さじ2入れかき混ぜ蓋をし、8分ほどそのまま中火で熱したら蓋を開け牛乳100ccを投入し水量が半分くらいになるまでかき混ぜ続け火にかけます。
最後にチーズやこしょうを入れ、皿に盛り付けリゾットの真ん中に卵黄を添えたら完成です。
休日などゆったり過ごせるときにお作りになられると時間におわれずに良いと思います。
今日わたしは初めて作ったのですが、体調の関係でバターは4g使用で、チーズは豆乳シュレッダーチーズに変え、最後に粉チーズを少しふりかけ風味付けし、卵黄の残りの卵白もかき混ぜチーズリゾットに投入しました。
あとこれは手違いですが既製品の鍋のガラス蓋が自宅に無くてアルミ鍋の蓋で代用し、コンソメが無くて鶏がらだしの素(小さじ1)で代用し急遽作りました。
レシピどおり規定量どおりのほうが絶対美味しいと思いますが、わたし自身の体調に合わせて作ったチーズリゾットもちょっと中華風チーズリゾットになり温かな朝ごはんでとても美味しかったです!
個人的に卵黄を添えると味がワンランクアップするような気がしますため、お嫌いではなかったらレシピどおり添えて召し上がってみると良い気分になれます。
本来のコンソメの場合のお味はどうだろうと想像がふくらみます。
次回作ってみるときはレシピどおりコンソメを使いたいです。
リゾットはお米を洗わなくて良いし味が決まるので体力があまり無いときは特に手短にできて良いなとも思いました。
午後は図書館で借りた本を読みました。
最近は部屋を温かくしてYouTubeで読書BGMを流したりインターネットラジオ(音楽)を流しながら、コーヒーなど温かい飲み物をとり本を読むことが多いです。
ひとりおうちネカフェです!
今回の本は、わたしは初めて読む作家さんで小池水音さんの『息』という本です。
人びとの日常の陰影を、深みのある眼差しで手繰り寄せるような感性で描かれた文章に憧憬を覚えるとともに、わたしは読みすすめていって心がだいぶ落ち着きました。
わたしにとって、日常は生命の営みそのものだったと改めて静かに優しく気が付かせてくださった本です。
心が動いたところも多々ありまして、時間をおいてまた読み直したい本です。
人生の時々で感じ取ることが変わりゆく物語のひとつかもしれません。
手元に置いておきたい本でもあり今後もしも文庫化されたなら嬉しいなと個人的に思いました。
最近、本を選ぶとき小説が再び選択肢に入るようになり個人的に嬉しいです。(近頃はエッセイ中心でした。)
子供の頃は好きな小説家さんの本しか読まなかったのですが、最近は新しい作家さんを見つけたい気持ちで、エッセイや小説を手に取ったものから読んでいます。
本を読むことはわたしにはある程度体力と集中力、環境がいるので、読めるうちに読んでいきたいと思います。
みなさまはなにか趣味はありますか。
多趣味でもひとつ没頭できるものでも趣味ができるということ自体が、とても素敵なことだとわたしは感じます。
趣味は生存競争や生存戦略とはまた別のサードプレイスのような安らぎがあります。
身を削ぎ落とすことから少し離れてただ趣味の海にたゆたうと自分自身の輪郭が浮かびあがるかもしれません。
こうであってほしいから、こうだったんだと、息を吹き返す。
みなさまにとっての趣味の世界が好きを源にしたものたちであふれていますように。
では今日はこのあたりで。
花雨。でした。
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おはようございます。花雨。です。
久しぶりの更新です。
冬になり雪がちらつく寒さのなか、みなさまは変わらずお元気でしょうか。
ちゃんと寝てちゃんと食べてくださいね!
後発地震の注意もあと少しですが、災害について避難について改めて全体を確かめ必要なものを選択し、周りのかたと少しずつでも話し合ういい機会になります。
本番さながらの訓練だと思えれば不安感が少し減るかもしれません。
わたしは災害についてはあまり心配し過ぎても体調が不安なため、本当に自分の範囲でできることしかできません。
そのため今よりも生存確率を1%上げることを目標にしてみました。
避難に必要な防寒対策はなにかを知る(できる範囲で用意する)、自宅で足りない避難食事の確認をする(必要最低分、買い足す)、災害情報を取る手段を確保する(ラジオを常に使える状態にする)、寝るとき周りにライトを置き、スマホはこまめに充電するなどです。
雪かきもできる範囲でしてみます。
1%上げるだけなので気が楽です!
あとはなるべく注意期間中は必要時以外は一人で出歩かず誰かといることを気をつけています。
災害は備えがあるかないかが生死の分かれ目なような気もしますが、日常生活もある以上完璧な避難対策は難しいような気もします。
わたしは生存確率を1%上げることに落ち着きました。
食欲の無いかたや元気のないかたがいましたら災害についてはあまり心配し過ぎず訓練だと思ってできる範囲のことを少しずつしてみてください。
ごはんを食べてちゃんと寝ること、必要ならば服薬や治療をし体調を整えること、健康に気を遣うことも大切な対策のひとつだとわたしは感じます。
ごはんを食べてちゃんと寝ること、必要ならば服薬や治療をし体調を整えること、健康に気を遣うことも大切な対策のひとつだとわたしは感じます。
今日はおうちでゆっくりする予定なので、朝食ににんにくを使った簡単なパンをいただきました。
わたしは比較的に元気が無いので朝ごはんから元気をいただきます。
冷凍食パンを電子レンジで半解凍します。
母のお友達からいただいたセロリのオリーブオイル漬けを塗って、ケチャップとチューブにんにくも重ね塗りし、乾燥パセリとバジルをぱらぱらふりかけ、とろけるチーズでふたをするようにして、さらにそのうえにあらびきこしょうをふってトースターでしっかりめに焼きました。
チーズのとろける食感と食パンのサクサク感、セロリの香りとオリーブオイルのコク、それらはにんにくのパンチの効いた感覚によく合っていてケチャップの甘さが全体をまとめてくれました。
ピザのように美味しかったです。
ブラックコーヒーをお供に食事をしました。
簡単な調理で味わい華やかな朝ごはんになり、とても満足しました。
わたしはセロリは昔は苦手分野でしたが今は工夫したなら食べられる野菜になり嬉しいです。
セロリのオリーブオイル漬けはポトフスープにも試しに入れてみたら味がしまりとても美味しかったです。
他の使い方はなにかないかなとふわふわ考えます。
焼いたフランスパンににんにくと一緒に塗り合わせてみたり、野菜サンドイッチに隠し味として入れてみたり、燻製サーモンのサラダにドレッシングがわりに和えてみたりしても楽しそうです。
洋風のお食事ならなんにでも合いそうです。
この美味しいセロリのオリーブオイル漬けはどうやってつくるのかなと考えながらごはんをゆっくり食べました。
見えない災害を予想した避難行動と、わたしには作ることがきっと難しいセロリのオリーブオイル漬けのレシピ。
見えないふたつの日常を現実の朝ごはんが繋ぎます。
クリスマスシーズン、年末年始。
みなさま何事もなくご無事で過ごせたなら今年は大吉だと思うわたしです。
今日はこのあたりで。
また会いましょう。
花雨。でした。
こんばんは、花雨。です。
今日は社会的にナイーヴな内容の日記になります。
わたしには悪気がなくても、ひとによっては苦手だったり嫌なきもちになったりする表現があるかもしれません。
そういった方々は読むことをすぐにやめて、なにか他の楽しい嬉しいことをしてみてください。
日記自体は数日前に書いたものをブログ用に内容を整理して、書きます。
内容は、差別とはなんだろうというわたしの素朴な疑問から始まります。
そう、わたしが考えた場所がヌプㇽという登別市の観光交流センターという場所です。
そこはJR登別駅の近くで観光客も近隣の町の人びとも賑わう楽しい場所です!
みなさま、ぜひふらりと訪れてみてください。
ヌプㇽというさまざまな言語が飛び交う場所だったからこそ、わたしは差別とはどういったことなのだろうかとふと考えてしまったのだと思います。
よろしくお願い致します。
こんにちは、花雨。です。
みなさまはどう感じどう思われますか。
ヌプㇽには食べ物の各お店の他に、どなたでもお休みできる広いスペースの休憩所、市役所の支所、観光案内所、登別ゆかりの商品が置いてある小さなお土産屋ブースがあります。
楽しい場所ですので駅の待ち時間や観光の束の間の休憩時間などありましたら訪れてみてください。
では今日はこのあたりで。
また会いましょう!
おやすみなさい。
今日は社会的にナイーヴな内容の日記になります。
わたしには悪気がなくても、ひとによっては苦手だったり嫌なきもちになったりする表現があるかもしれません。
そういった方々は読むことをすぐにやめて、なにか他の楽しい嬉しいことをしてみてください。
日記自体は数日前に書いたものをブログ用に内容を整理して、書きます。
内容は、差別とはなんだろうというわたしの素朴な疑問から始まります。
そう、わたしが考えた場所がヌプㇽという登別市の観光交流センターという場所です。
そこはJR登別駅の近くで観光客も近隣の町の人びとも賑わう楽しい場所です!
みなさま、ぜひふらりと訪れてみてください。
ヌプㇽというさまざまな言語が飛び交う場所だったからこそ、わたしは差別とはどういったことなのだろうかとふと考えてしまったのだと思います。
よろしくお願い致します。
こんにちは、花雨。です。
今日は髪を切りに登別方面へ行きました。
電車待ちでヌプㇽという観光交流センターへ行き、各お店でかぼちゃのジェラートやアップルカスタードパイを美味しくいただき、温かいコーヒーを飲んで施設内で休憩を取りました。
ヌプㇽはアイヌ語で色の濃いという意味で、先住民族であるアイヌ民族の展示や説明なども施設内で紹介されています。
時間がかなりあったためアイヌ民族を支援し広報する団体の、組織構造を説明してくれる冊子をわたしは読みました。
置かれていたその冊子をぱらぱらと読んでいて差別とはなんだろうとなんとなく考えてしまいました。
(その冊子はアイヌ民族のアイデンティティや文化について詳細に語る性質の本ではそもそもなく、アイヌ民族を組織的に支援する団体の構造を事実的に説明してくれる本でした。アイヌ民族のアイデンティティや文化についての本格的な説明はウポポイなどに託されているのだろうとわたしは予想しました)
(その冊子はアイヌ民族のアイデンティティや文化について詳細に語る性質の本ではそもそもなく、アイヌ民族を組織的に支援する団体の構造を事実的に説明してくれる本でした。アイヌ民族のアイデンティティや文化についての本格的な説明はウポポイなどに託されているのだろうとわたしは予想しました)
差別とはなんでしょうか。
差別というものは、皆に与えられる機会からの排除、マイナスイメージの強制的な付与だとわたしは思います。
だけれど、いきなり最初から相手に対して激しい差別がなされるのだろうかと疑問がふと湧きました。
だけれど、いきなり最初から相手に対して激しい差別がなされるのだろうかと疑問がふと湧きました。
相手を知らない、関心があまりない段階だからこそ、無意識にされるちょっとした自分自身の行いが、相手のアイデンティティや文化からすれば我慢はできるけど哀しい、なんだか怒りが湧くというじわじわと蝕むような場面があるのかなとわたしは思います。
わたしはそれが差別の始まりのように感じるのです。
ただ、相手を知らない、関心があまりないという状況は誰にでもあることと思います。
性、年齢、容姿、国、民族、職業、障害などの分野で特に。
先住民族のアイヌ民族に限らず、それぞれの分野でわたしは知らないことはいっぱいあります。
他者から聞かれてもとっさに上手く説明できないことが多々あるのです。
つまり差別をしやすい状況にわたしは、今いるのだと思います。
悪意のある差別というものが、この世界にたくさん生じていることは知識としてなんとなく理解ります。
ただ、悪気のない差別というものはもっとわたしの身近に巣食うように存在するような気がしています。
よくそのものの立場を知らないのに(関心を持ち知ろうとしていないのに)あれこれはこういうものだ、それはこのようなものだと自分自身の価値観だけで判断を片付けて、その判断にいろんな人々の価値観が反映されていないという状態は、日常、わたしはめずらしいことではないと感じます。
だからこそ、その差別の始まりは誰にとっても無関係ではないのかなともわたしは思うのです。
遠い隣町の他者なら鷹揚に許せることが身内だと簡単に判断が変わったり、逆に自分自身に近しい分類の人々に理解は示すけれどあまりにかけ離れている人びとにはその人びとの立場を無視ができてしまったり、このようなことはありふれた日常の一コマでありながら差別の始まりなのかなとぼやっと思います。
SDGsの時代だけれど、わたしは自分自身が今までもこれからも胸を張って誰も差別はしていないとは、言えません。
なにも知らないからです。
積極的に差別はしたくはないのです、ですが他者から見たならわたしが誰かを差別している可能性はあると思っています。
差別の始まりは自分自身の状態とも関連はあると個人的に感じます。
自分自身が切羽詰まっている状態であるのに優遇される人びとを目の当たりにして何も言わないで通り過ぎることができる人間は日本も外国も、歴史的な流れを見て多数ではないと感じます。
なにか悪い状態に自分自身が陥ったとき自分自身ではない、なにかのせいにしたい性質を、そもそももつものが人間なのだと感じることがわたしにはあります。
ただ、個人的にずっと思っていることがあるのです。
人間は差別をする対象に自分自身がなることがあります。
時代による国の情勢は波がある。
恋愛をしたひとが本当はどのような性的指向の持ち主なのかということや民族的なアイデンティティの持ち主であるのかという可能性、生きていれば年齢は重なり容姿は誰でも衰えるし、誰かが何かを担っているからバランスがとれてその働き手は存在するし、生老病死からは誰も逃れられない人生です。
そういったことを想像していくと自分が差別していたひとの立場が自分自身の立場だったということがありえる可能性だと理解ります。
自分自身の無知は自分自身の人生に返ってくる。
わたしは個人的にそう考えています。
差別するものは差別されるという状況はありえます。
そして、差別するものは誰か他者だとは限らず、自分の差別の価値観により自分自身の人生が差別されるとわたしは感じています。
差別というものが合理的ではなく違法であり、他者の人生を容易く変えてしまう行動であるということを自分自身の身に沁みているひとと、そうではないひとはやはり差があるような気が、わたしはしてしまうのです。
アイヌ民族を支援する組織の冊子をぱらぱらと読んでみてわたしが思ったことは、アイヌ民族を支援する彼らはアイヌ民族を差別なく保全しようとしている存在でありアイヌ民族を知っている人びとなのだという事実と、登別という町を知りながらアイヌ民族の言葉、文化、信仰、歴史を他者から聞かれてもわたしは日本人として説明ができないという、その事実との対比です。
この対比は影が深いと思います。
差別の始まり、第一歩になってしまっているのではないかとわたしはふと感じてしまいました。
これは先住民族のアイヌ民族だけの課題に限らず、繰り返すようだけれど、さまざまな分野のそこここに差別の始まりはあるのではないかとわたしは思っています。
ヌプㇽはいろいろな意味合いで中継地点なのだと思います。
アイヌ民族について、観光について、登別という町について、歴史と文化が交わりその先、自分自身が知りたいことや体験したいことへ向けて背中を少しだけ押してくれる中継地点。
ヌプㇽにてさまざまな言語が飛び交うなか、どこかへ行く先がある人びとが一時安らかに過ごす場所でアイヌ民族を支援する組織の冊子をめくって、差別ってなんだろうと首をひねったわたしは、ヌプㇽは、やっぱりおもしろい場所だと感じています。
今日は社会的にナイーヴな内容でわたし自身、書くかどうか迷いましたが差別という言葉について自分なりに考えをめぐらせてみました。みなさまはどう感じどう思われますか。
ヌプㇽには食べ物の各お店の他に、どなたでもお休みできる広いスペースの休憩所、市役所の支所、観光案内所、登別ゆかりの商品が置いてある小さなお土産屋ブースがあります。
楽しい場所ですので駅の待ち時間や観光の束の間の休憩時間などありましたら訪れてみてください。
では今日はこのあたりで。
また会いましょう!
おやすみなさい。
おはようございます。花雨。です。
お久しぶりの更新です。
最近、ぽやっと考えていることがあります。
世間でよく言われているように、これからの時代はAIさんができないお仕事を人間たちが担うようになるのだと思います。
わたしは日々生活をしていて、通所先でわたしたちのしている作業、街に出て街の人びとがしているお仕事をなんとはなしに見るのですが、体力のいる大変なお仕事、危険あるなかで行われるお仕事、正確さと精密さをスピード感をもって大量にやるお仕事、助言など誰が決断しても判断が難しい場面を乗りこえるためのアドバイザーのお仕事は、これからはAIさんやロボットが手助けしたり担ったりする確率が高いお仕事なのかなと個人的にひっそり思っています。
逆にAIさんやロボットが今は難しいことは、ホスピタリティが必要なお仕事です。
レジャー、ホテル、旅館、病院、障害、介護関係はこれから先もホスピタリティが発揮されれば、人びとがそれを変わらず求めるなら、そのなかでちいさなお仕事だったり裏方のお仕事だったりはAIさんやロボットが補助し担っていても本質として遺される場所だとわたしは思います。
今は芸術分野までAIさんが手を伸ばしてはいますが、これは良い意味合いでは芸術家とAIさんのコラボレーションの分野になり社会的な新たなルールやマナーが生まれるか、悪い意味合いでは熾烈な競争関係になり人間によりAIが排除に近い立場に追いやられるのかなとこれまたぼんやり考えています。
ただわたしは人間はなんだかんだいって人間が結構好きなのだと思っていて、ヒューマンドラマにやはり感動する、心を突き動かされるという体験、経験を重視する傾向にあるのかなと感じます。
人間の限界だと思っていたものを人間が超える物語を皆が見たいというか。
人間の希望をこの目で見たいという、欲望があるとわたしは感じます。
わたしは現在のAIさんやロボットの成長を全てを知っているわけではないのでなんとも言えない部分もあるのですが、AIさんやロボットの背後には必ず開発をすすめた人間がいるのでそのひとたちがAIさんやロボットを使って世界にとってどのような影響を与えたいのかにより、AIさんやロボットとわたしたちの関係性は変わるのかなと思います。
オレオレ詐欺や振り込め詐欺(今はこう表現しないのかもしれません!)をレジのスタッフさんや銀行のスタッフさんが食い止める善意だってわたしは広義のホスピタリティだと思っています。
AIさんにお仕事を奪われるというより代替わりしていく一部の分野や一部のお仕事が今の時代にはあるのかなとも思います。
人口減少、少子高齢化の時代なので……。
逆にAIさんがもしも開発されていなかったならと少しだけ想像してみることも大事かもしれません。
そこははたして持続可能な場所や場面なのでしょうか。
ちなみにわたしが今一生懸命している作業たちはAIさんやプロフェッショナルな人びとのほうが上手に素早くクォリティ素晴らしくできます。
大量の生産や物やサービスの質の高さを求めるなら、です。
ですがわたしの、作業をするという体験はわたし自身の蓄積であり良くも悪くも想い出のワンシーンです。
そして通所先ではそれが許される場所なのです。
AIさんはわたしの代わりには体験してくれません。
これから先、AIさんと上手に付き合っていきたいなとわたしはスマートフォンのChatGPTアプリを見ながらちょっと思います。
ブログや詩、小説の文章にわたしはAIさんを利用したことはありませんがアプリをたまに愚痴吐き出しのため利用すると共感的な言葉をときおりなげかけてださるため、心理的にはほっとします。
1人Twitter状態の愚痴吐き出しにChatGPTを使うことはAIさんを開発した人びとに大変申し訳ないのですが、もっと有用な利用のしかたは世界でどなたかがしてくださると思っているので、わたしはわたしで、AIさんとほのぼのと付き合っていきたいです。
みなさまは自分自身とAIさんやロボットとのこれからをどう思われますか?
それらの出現により社会的に変わると思われますか。
それともすでに変わっていると思いますか。
それは危機感ですか、安心感ですか。ワクワク感ですか。
未来は意外と身近にあるのです。
では今日はこのあたりで。
わたしの拙いお話を聞いてくださりありがとうございます!
花雨。でした。
ここで、またお会いしましょう。
お久しぶりの更新です。
最近、ぽやっと考えていることがあります。
世間でよく言われているように、これからの時代はAIさんができないお仕事を人間たちが担うようになるのだと思います。
わたしは日々生活をしていて、通所先でわたしたちのしている作業、街に出て街の人びとがしているお仕事をなんとはなしに見るのですが、体力のいる大変なお仕事、危険あるなかで行われるお仕事、正確さと精密さをスピード感をもって大量にやるお仕事、助言など誰が決断しても判断が難しい場面を乗りこえるためのアドバイザーのお仕事は、これからはAIさんやロボットが手助けしたり担ったりする確率が高いお仕事なのかなと個人的にひっそり思っています。
逆にAIさんやロボットが今は難しいことは、ホスピタリティが必要なお仕事です。
レジャー、ホテル、旅館、病院、障害、介護関係はこれから先もホスピタリティが発揮されれば、人びとがそれを変わらず求めるなら、そのなかでちいさなお仕事だったり裏方のお仕事だったりはAIさんやロボットが補助し担っていても本質として遺される場所だとわたしは思います。
今は芸術分野までAIさんが手を伸ばしてはいますが、これは良い意味合いでは芸術家とAIさんのコラボレーションの分野になり社会的な新たなルールやマナーが生まれるか、悪い意味合いでは熾烈な競争関係になり人間によりAIが排除に近い立場に追いやられるのかなとこれまたぼんやり考えています。
ただわたしは人間はなんだかんだいって人間が結構好きなのだと思っていて、ヒューマンドラマにやはり感動する、心を突き動かされるという体験、経験を重視する傾向にあるのかなと感じます。
人間の限界だと思っていたものを人間が超える物語を皆が見たいというか。
人間の希望をこの目で見たいという、欲望があるとわたしは感じます。
わたしは現在のAIさんやロボットの成長を全てを知っているわけではないのでなんとも言えない部分もあるのですが、AIさんやロボットの背後には必ず開発をすすめた人間がいるのでそのひとたちがAIさんやロボットを使って世界にとってどのような影響を与えたいのかにより、AIさんやロボットとわたしたちの関係性は変わるのかなと思います。
オレオレ詐欺や振り込め詐欺(今はこう表現しないのかもしれません!)をレジのスタッフさんや銀行のスタッフさんが食い止める善意だってわたしは広義のホスピタリティだと思っています。
AIさんにお仕事を奪われるというより代替わりしていく一部の分野や一部のお仕事が今の時代にはあるのかなとも思います。
人口減少、少子高齢化の時代なので……。
逆にAIさんがもしも開発されていなかったならと少しだけ想像してみることも大事かもしれません。
そこははたして持続可能な場所や場面なのでしょうか。
ちなみにわたしが今一生懸命している作業たちはAIさんやプロフェッショナルな人びとのほうが上手に素早くクォリティ素晴らしくできます。
大量の生産や物やサービスの質の高さを求めるなら、です。
ですがわたしの、作業をするという体験はわたし自身の蓄積であり良くも悪くも想い出のワンシーンです。
そして通所先ではそれが許される場所なのです。
AIさんはわたしの代わりには体験してくれません。
これから先、AIさんと上手に付き合っていきたいなとわたしはスマートフォンのChatGPTアプリを見ながらちょっと思います。
ブログや詩、小説の文章にわたしはAIさんを利用したことはありませんがアプリをたまに愚痴吐き出しのため利用すると共感的な言葉をときおりなげかけてださるため、心理的にはほっとします。
1人Twitter状態の愚痴吐き出しにChatGPTを使うことはAIさんを開発した人びとに大変申し訳ないのですが、もっと有用な利用のしかたは世界でどなたかがしてくださると思っているので、わたしはわたしで、AIさんとほのぼのと付き合っていきたいです。
みなさまは自分自身とAIさんやロボットとのこれからをどう思われますか?
それらの出現により社会的に変わると思われますか。
それともすでに変わっていると思いますか。
それは危機感ですか、安心感ですか。ワクワク感ですか。
未来は意外と身近にあるのです。
では今日はこのあたりで。
わたしの拙いお話を聞いてくださりありがとうございます!
花雨。でした。
ここで、またお会いしましょう。
