花雨。と申します。晴れる青空の影が窓に映り季節の巡りを感じます。
こんにちは。
町を歩けば春もさなかです。
人さまのお庭のそばを通ると梅花の匂いも仄かにただよい白木蓮、紫木蓮の妖艶な花弁は空に向けほころびるよう咲いています。
わたしが居ますこちらはまだ濃い桃色の八重桜は芽吹くのみですが、千島桜や染井吉野はそろそろ可憐に散り吹雪く頃合い。
真冬の厳しさをのりこえまた巡る植物の生命力に町を歩くたびにわたしは踊るような驚きを覚えます。
わたし自身のしたたかな生命と薄弱な精神性を、植物たちは包みこむよう叱咤し、わたしは息をついて敬虔なきもちになるのです。
植物たちは地上に根を強く張り、新緑を鮮やかにしなり宙へ伸ばし、花をあふれさせ自ら老い枯れ種を結ぶ。
人間がいてもいなくても変わらないそのことわりを日常、わたしたちは目撃していますが日々の働きとそれぞれの目的地への道中には、植物たちの静かなまなざしはつい、通り過ぎてしまうものなのかもしれません。
現代では誰もが持ち歩くスマートフォン。
その画面の向こうインターネットの海から受けるひかりはきらびやかな熱量です。
スマートフォンの人工的な世界の温さというものは嘘ではなく確かに存在するのです。
ですが、わたしは町歩きをしているときはスマートフォンをあまり見ていないのです。
それは、肌焼けしそうな陽向と灰色の影がアスファルトへ流れ、連なる後続車のエンジン音と小鳥たちのころころとざわめく会話に耳で触れて、透る青さの空をたなびく柔らかな風を身体に感じたいからです。
テレビやインターネットで毎夜流れる傷ついている涙の数や、日々の言葉に隠れた切れ刃の血の色よりも、わたしが信じたいものが町歩きの光景にすでに在るような気がわたしはします。
すでに在るものは晴れやかに認めるしかなく、わたしは少しの敗北感と己の小ささをしみわたらせて、この自然になにを還そうかと胸の隅が微かに疼くのです。
みなさまにも町歩きをしていて思うことはなにかありますでしょうか。
その場所にとうめい。はなにかはありますか。
ではまたこの世界でお会いしてくださいね。
こんにちは。
町を歩けば春もさなかです。
人さまのお庭のそばを通ると梅花の匂いも仄かにただよい白木蓮、紫木蓮の妖艶な花弁は空に向けほころびるよう咲いています。
わたしが居ますこちらはまだ濃い桃色の八重桜は芽吹くのみですが、千島桜や染井吉野はそろそろ可憐に散り吹雪く頃合い。
真冬の厳しさをのりこえまた巡る植物の生命力に町を歩くたびにわたしは踊るような驚きを覚えます。
わたし自身のしたたかな生命と薄弱な精神性を、植物たちは包みこむよう叱咤し、わたしは息をついて敬虔なきもちになるのです。
植物たちは地上に根を強く張り、新緑を鮮やかにしなり宙へ伸ばし、花をあふれさせ自ら老い枯れ種を結ぶ。
人間がいてもいなくても変わらないそのことわりを日常、わたしたちは目撃していますが日々の働きとそれぞれの目的地への道中には、植物たちの静かなまなざしはつい、通り過ぎてしまうものなのかもしれません。
現代では誰もが持ち歩くスマートフォン。
その画面の向こうインターネットの海から受けるひかりはきらびやかな熱量です。
スマートフォンの人工的な世界の温さというものは嘘ではなく確かに存在するのです。
ですが、わたしは町歩きをしているときはスマートフォンをあまり見ていないのです。
それは、肌焼けしそうな陽向と灰色の影がアスファルトへ流れ、連なる後続車のエンジン音と小鳥たちのころころとざわめく会話に耳で触れて、透る青さの空をたなびく柔らかな風を身体に感じたいからです。
テレビやインターネットで毎夜流れる傷ついている涙の数や、日々の言葉に隠れた切れ刃の血の色よりも、わたしが信じたいものが町歩きの光景にすでに在るような気がわたしはします。
すでに在るものは晴れやかに認めるしかなく、わたしは少しの敗北感と己の小ささをしみわたらせて、この自然になにを還そうかと胸の隅が微かに疼くのです。
みなさまにも町歩きをしていて思うことはなにかありますでしょうか。
その場所にとうめい。はなにかはありますか。
ではまたこの世界でお会いしてくださいね。
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こんばんは、花雨。と申します。
空気を吸う、吐く、また吸うという行為を人間ならば皆がしています。
ですがときどきわたしは呼吸がしにくいなと思う場がいくつかあるのです。
みなさまにもあったことはないでしょうか。
自分自身がその場に存在することがふさわしくないかのような場です。
より正確には制度的にも法的にも自分自身はその場にいていいはずなのに、周囲の人びとの空気感、雰囲気が冷えた氷の針のような刺々しさを感じる場です。
その空気感、雰囲気の理由は自分自身にある場合もあれば周りの人びとにある場合もあるし、自他ともに両方にその理由があったり、しっかりとした根拠が噂ていどに過ぎなかったりそもそも理由すら気まぐれで無かったり、お互いの誤解ゆえだったりします。
どんな理由であれそのような氷の場は、どんなひとであっても苦しいもので哀しさの風がこころのうちをざわめかせます。
同調圧力で渦中のひとを追いやる台風はわたしは受けることも自分自身がそのような空気感のひとつになることも、あまり好きではありませんでした。
わたしはそのような場から戦わず逃げることにしています。
氷の関係性から学ぶこともありますが、それはわたし自身が台風から抜け出してからずっと後のことだといつも思っています。
もしも現在この氷の関係性に、はまっておぼれそうになっているかたがいましたらわたしはお伝えしたいのです。
袖触れ合うも多生の縁だと思ってわたしのお話をそっと聞いてくださると嬉しいのです。
この冷たい世界から逃げられないと自分自身を思いつめてしまうまじめなかたほど氷の関係性という沼に足をとられます。
あえて申し上げます。
その空気、軽んじましょう。
その氷の世界の空気感、雰囲気を遠慮なく吸い込みましょう。
なぜなら空気を吸う、吐く、また吸うことは実に人間らしいのです。
空気は全員に平等に与えられたものであること、お金はかからないことは常識のひとつです。
本来は空気というものは誰かや誰か達が主導権を握り、切り売りできないものなのです。
そしてあなたにもっと合う、安心して空気を深く吸い吐けてまた吸える居場所は、必ずこの地上にあるのです。
まず、氷の世界からなにかを学ぶよりもそんな空気を軽んじて吸いきって欲しいのです。
きっと。その資格があるものは台風の渦中のひとだけだとわたしは思います。
創り出された同調圧力のルールから外されたものだけが、そのルールの外へ抜け出せるのです。
氷の世界から逃げることも耐えることも改革することも生き残ることも、それぞれ立派な選択肢です。
それぞれの選択肢がすっとできるかたもいらっしゃれば現在は難しいというかたもいらっしゃることが自然だとわたしは思います。
空気は地球や宇宙の歴史の恵みです。
人間だけのものではありません。
氷の世界の人びとは人間同士の空気感や雰囲気をはじめから重んじてはいません。
彼らは自分自身の氷の針のような世界観を必死に信じたいだけなのです。
わたしはあなたに。
そんな空気を軽んじて自分自身のために次の選択肢をできるかぎり自由に選んで欲しいと思います。
あなたがわたしより年若くても働きざかりでも、ひとりであっても護らねばならないものたちを抱えていても。
わたしが言えることは何ら変わりません。
その空気は軽んじて良いものです。
吸って吐いてまた吸って、あなたの生き延びる糧にして良いものです。
今日は具体的な状況へわたしのつたない言葉を送り届けてみました。
インターネットの波打ち際に、このメッセージボトルがころん、と流れ着いたなら誰かが拾い上げて開き読んでくだされば。
わたしはそう、そっと願います。
ではこの世界でまた、お会いいたしましょう。
空気を吸う、吐く、また吸うという行為を人間ならば皆がしています。
ですがときどきわたしは呼吸がしにくいなと思う場がいくつかあるのです。
みなさまにもあったことはないでしょうか。
自分自身がその場に存在することがふさわしくないかのような場です。
より正確には制度的にも法的にも自分自身はその場にいていいはずなのに、周囲の人びとの空気感、雰囲気が冷えた氷の針のような刺々しさを感じる場です。
その空気感、雰囲気の理由は自分自身にある場合もあれば周りの人びとにある場合もあるし、自他ともに両方にその理由があったり、しっかりとした根拠が噂ていどに過ぎなかったりそもそも理由すら気まぐれで無かったり、お互いの誤解ゆえだったりします。
どんな理由であれそのような氷の場は、どんなひとであっても苦しいもので哀しさの風がこころのうちをざわめかせます。
同調圧力で渦中のひとを追いやる台風はわたしは受けることも自分自身がそのような空気感のひとつになることも、あまり好きではありませんでした。
わたしはそのような場から戦わず逃げることにしています。
氷の関係性から学ぶこともありますが、それはわたし自身が台風から抜け出してからずっと後のことだといつも思っています。
もしも現在この氷の関係性に、はまっておぼれそうになっているかたがいましたらわたしはお伝えしたいのです。
袖触れ合うも多生の縁だと思ってわたしのお話をそっと聞いてくださると嬉しいのです。
この冷たい世界から逃げられないと自分自身を思いつめてしまうまじめなかたほど氷の関係性という沼に足をとられます。
あえて申し上げます。
その空気、軽んじましょう。
その氷の世界の空気感、雰囲気を遠慮なく吸い込みましょう。
なぜなら空気を吸う、吐く、また吸うことは実に人間らしいのです。
空気は全員に平等に与えられたものであること、お金はかからないことは常識のひとつです。
本来は空気というものは誰かや誰か達が主導権を握り、切り売りできないものなのです。
そしてあなたにもっと合う、安心して空気を深く吸い吐けてまた吸える居場所は、必ずこの地上にあるのです。
まず、氷の世界からなにかを学ぶよりもそんな空気を軽んじて吸いきって欲しいのです。
きっと。その資格があるものは台風の渦中のひとだけだとわたしは思います。
創り出された同調圧力のルールから外されたものだけが、そのルールの外へ抜け出せるのです。
氷の世界から逃げることも耐えることも改革することも生き残ることも、それぞれ立派な選択肢です。
それぞれの選択肢がすっとできるかたもいらっしゃれば現在は難しいというかたもいらっしゃることが自然だとわたしは思います。
空気は地球や宇宙の歴史の恵みです。
人間だけのものではありません。
氷の世界の人びとは人間同士の空気感や雰囲気をはじめから重んじてはいません。
彼らは自分自身の氷の針のような世界観を必死に信じたいだけなのです。
わたしはあなたに。
そんな空気を軽んじて自分自身のために次の選択肢をできるかぎり自由に選んで欲しいと思います。
あなたがわたしより年若くても働きざかりでも、ひとりであっても護らねばならないものたちを抱えていても。
わたしが言えることは何ら変わりません。
その空気は軽んじて良いものです。
吸って吐いてまた吸って、あなたの生き延びる糧にして良いものです。
今日は具体的な状況へわたしのつたない言葉を送り届けてみました。
インターネットの波打ち際に、このメッセージボトルがころん、と流れ着いたなら誰かが拾い上げて開き読んでくだされば。
わたしはそう、そっと願います。
ではこの世界でまた、お会いいたしましょう。
おはようございます。わたしの名前は花雨。です。
みなさまの世界で今、雨は降っているのでしょうか。
こちらは雨音静か灰色の空模様です。
雨音連なる粒が丸く跳ね飛んで日常少し疲れた耳に心地良いです。
豪雨だといろんな心配をわたしはしてしまうのですが、通常の雨降りは自然からの伝言のひとつかもしれないと想像します。
人びとのルーティン生活とは関係なくときおり差し出される天然からの手紙のように思えるのです。
そこに何を読みとるのかは人びとそれぞれだと思いますが、わたしの場合は忘れないで、です。
雨にまつわる想い出を忘れないで、です。
想い出はいつも不思議です。
忘れているからこそ想い出せるのです。
想い出せると、記憶は新たな解釈のもとふたたび鮮やかに解放され自由に羽根を広げまたわたしのてもとに帰ってきます。
螺旋を描き飛ぶ小鳥がわたしの想い出の理由、記憶のことわりです。
あの雨にまつわる想い出をわたしはこの場所でお話をすることはとても難しいのです。
ただ、あの雨音をわたしはきっとこれから先も想い出します。
問いかけとしてある沈黙として、切実な優しい手紙として。
みなさまはそんな記憶はありますか。
雨によって豊かに呼び醒まされる想い出はなにか、ありますでしょうか。
小さくても深くてもその記憶は想い出せば雨音が慰めるよう撫でてくれます。
雨降りのときは町も人びとも眠り沈むよう穏やかな空気感をわたしは覚えます。
今朝は雨降りのお話でした。
みなさま。
休日のかたはゆっくりお休みになって好きなことをどんどんして心身ともに回復してくださいませ。
お仕事あるかたは、あなたのお仕事をお待ちになっている方々のため、日々の生活の潤いのひとつとしてお金という血をいただいてくださいませ。
ではまたこの世界でお会いしましょう。
みなさまの世界で今、雨は降っているのでしょうか。
こちらは雨音静か灰色の空模様です。
雨音連なる粒が丸く跳ね飛んで日常少し疲れた耳に心地良いです。
豪雨だといろんな心配をわたしはしてしまうのですが、通常の雨降りは自然からの伝言のひとつかもしれないと想像します。
人びとのルーティン生活とは関係なくときおり差し出される天然からの手紙のように思えるのです。
そこに何を読みとるのかは人びとそれぞれだと思いますが、わたしの場合は忘れないで、です。
雨にまつわる想い出を忘れないで、です。
想い出はいつも不思議です。
忘れているからこそ想い出せるのです。
想い出せると、記憶は新たな解釈のもとふたたび鮮やかに解放され自由に羽根を広げまたわたしのてもとに帰ってきます。
螺旋を描き飛ぶ小鳥がわたしの想い出の理由、記憶のことわりです。
あの雨にまつわる想い出をわたしはこの場所でお話をすることはとても難しいのです。
ただ、あの雨音をわたしはきっとこれから先も想い出します。
問いかけとしてある沈黙として、切実な優しい手紙として。
みなさまはそんな記憶はありますか。
雨によって豊かに呼び醒まされる想い出はなにか、ありますでしょうか。
小さくても深くてもその記憶は想い出せば雨音が慰めるよう撫でてくれます。
雨降りのときは町も人びとも眠り沈むよう穏やかな空気感をわたしは覚えます。
今朝は雨降りのお話でした。
みなさま。
休日のかたはゆっくりお休みになって好きなことをどんどんして心身ともに回復してくださいませ。
お仕事あるかたは、あなたのお仕事をお待ちになっている方々のため、日々の生活の潤いのひとつとしてお金という血をいただいてくださいませ。
ではまたこの世界でお会いしましょう。
こんばんは。花雨。です。
今日はわたしなりの他者の死の、噛み砕きかたをお伝えさせてください。
いきものが死ぬと鮮やかな命の音が止みかわりに不在の音が地上に鳴り響く気がわたしはします。
不在の音は圧倒的に空白ですが周りの人びとならではの喜怒哀楽、その祭りのような騒々しさを渦のごとく吸い込むスポットとして、不在の音は地上に存在感をあらわしているとわたしは思っているのです。
死んだあとそのいきものの存在は朽ちて世界の目には見えないことが現代の常識のひとつです。
それでももう二度とその存在はありのままの姿を見せないけれども、圧倒的なそのものの不在をとおして周りの人びとは波立たせられます。
その波こそ、不在の音の証明でありなくてはならないいきものが消失してしまった深い哀しさだとわたしは感じます。
人は皆死んでしまうのですが、そのひとの存在感というものはなかなかのこされた周りの生きる人びとにとって消すことが難しいのでは、とわたしは思うのです。
不在の音の響きの広がりは生前のそのひととのこされた周りの人びとの存在感のつながり、絆のひと種類だとも思います。
誕生したときから人間は存在感を命から放ちます。
わたしはそのことに畏れと不思議さを覚えます。
ひとは死んだらどうなるのかはわたしにはわかりません。
ただ、死んだらそれで全て終わりという事実については無味乾燥な思いを個人的には抱いてしまいます。
ひとりぽっちで死んでも皆に看取られながら死んでも、それが人間でもペットや動物でも。
現代は誰かや何かと存在感ですでに繋がってしまっている世界なのかもしれません。
そのことが良いことか悪いことなのかはわたしにはまだ不勉強なためわからないことが多いのですが、不在の音広がる響きを無視はできないとわたしは感じることも確かです。
みなさまは自分自身の死や他者の死についてお考えになることはありますでしょうか。
わたしは死はまだわかりませんが、不在という胸に冷たい圧倒的な存在感、今まで生きているものが本当に事実として消失するという重さの深さはこれからも忘れたくはないのです。
みなさまは今日はどんなとうめい。を見つけましたか。
ではまた、この世界でお会いしましょう。
今日はわたしなりの他者の死の、噛み砕きかたをお伝えさせてください。
いきものが死ぬと鮮やかな命の音が止みかわりに不在の音が地上に鳴り響く気がわたしはします。
不在の音は圧倒的に空白ですが周りの人びとならではの喜怒哀楽、その祭りのような騒々しさを渦のごとく吸い込むスポットとして、不在の音は地上に存在感をあらわしているとわたしは思っているのです。
死んだあとそのいきものの存在は朽ちて世界の目には見えないことが現代の常識のひとつです。
それでももう二度とその存在はありのままの姿を見せないけれども、圧倒的なそのものの不在をとおして周りの人びとは波立たせられます。
その波こそ、不在の音の証明でありなくてはならないいきものが消失してしまった深い哀しさだとわたしは感じます。
人は皆死んでしまうのですが、そのひとの存在感というものはなかなかのこされた周りの生きる人びとにとって消すことが難しいのでは、とわたしは思うのです。
不在の音の響きの広がりは生前のそのひととのこされた周りの人びとの存在感のつながり、絆のひと種類だとも思います。
誕生したときから人間は存在感を命から放ちます。
わたしはそのことに畏れと不思議さを覚えます。
ひとは死んだらどうなるのかはわたしにはわかりません。
ただ、死んだらそれで全て終わりという事実については無味乾燥な思いを個人的には抱いてしまいます。
ひとりぽっちで死んでも皆に看取られながら死んでも、それが人間でもペットや動物でも。
現代は誰かや何かと存在感ですでに繋がってしまっている世界なのかもしれません。
そのことが良いことか悪いことなのかはわたしにはまだ不勉強なためわからないことが多いのですが、不在の音広がる響きを無視はできないとわたしは感じることも確かです。
みなさまは自分自身の死や他者の死についてお考えになることはありますでしょうか。
わたしは死はまだわかりませんが、不在という胸に冷たい圧倒的な存在感、今まで生きているものが本当に事実として消失するという重さの深さはこれからも忘れたくはないのです。
みなさまは今日はどんなとうめい。を見つけましたか。
ではまた、この世界でお会いしましょう。
